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背信行為





ほとりほとりと山茶花の花びらが地に落ちる。
朽木家の庭に咲く山茶花は、この辺りでも珍しく純白の花弁をもつ。ぽってりとした花びらが地表を埋めつくす様は、まるでその一角だけが雪に覆われているようで、色彩のない初冬の庭の中でひときわ目を引いた。



屋敷を訪れる客人たちはこの光景を目にするたびに
「さすが隊長、屋敷にも椿の花を」
と感嘆する。その度に執事があれは椿ではなく山茶花であることを説明するのだが、よほど慣れたものでなければ、両者の区別などそう簡単につくものではなかった。
「あ、山茶花が…」
一目見るなりそう呟いたのはただ一人。
当時、養子として屋敷に引き取ったばかりのルキアだけだった。








「ルキア様が…」
と使用人が困った表情で報告に来るなり、白哉は軽い苛立ちとともに立ち上がると、庭へと足を向けた。使用人によれば、周囲が止めるにもかかわらずルキアが庭に出たいと言って譲らなかった、と言うのである。
義妹が思ったより強情な性格である、ということを知ったのはここ最近のこと。そうして使用人に我を通して困らせ、仕方なく白哉が諭すことも増えた。そのたびに見せる怯えたような、しかし意志の強さを感じさせる瞳に、白哉はまたルキアの新しい一面を知るのだ。




己が言わねば譲るまい、と苦々しい思いで庭へやって来た白哉は、庭のただ中に頑固な義妹の小さな姿を見つけた。
「ルキア」
呼ばれたルキアは、少しだけ首をひねって後ろを見上げる。白哉がいつものように、感情の読めない表情で立っていた。
「もう起きて良いのか」
「空気が冷たくて気持ちよいのです」
それは未だ熱があるためで、つまりは風邪が完治していないということではないのか。
と白哉は思ったが、口に出すことは控えた。




控えた、と言うよりも口に出すことができなかった、と言う方が正しいだろう。
久しぶりに外に出ることができてよほど嬉しいのか、ルキアは愉しそうな微笑を浮かべて庭を歩いていた。熱のためか頬はうっすらと紅く、寝癖のついた黒髪が痛々しい。
己がたった一言「部屋に戻れ」と発するだけで、その微笑が泡のように壊れてしまうことを白哉は知っている。
それは囀る小鳥に鉄の矢を打ち込むような仕打ちであることも、今の白哉は知っている。






少し前の白哉なら、躊躇いもなくその言葉を口にしていただろう。しかし旅禍騒動の後、
―したいようにすれば良い
と、諦めとも放任ともつかない気持ちに至った朽木家当主は、小鳥は自由に囀る姿が最も美しい、と思えるほどには寛容になった。もっとも、小鳥を手の内から放すには未だ臆病で、自由とは言っても己の目の届く範囲で、の話ではあるのだが。
そもそも、小鳥を手放すつもりがあるのかどうかすら白哉自身にも分からなかった。
己と義妹とを切り離して考えるには、あまりにも長い時間、あまりにも身近に置きすぎたのだ。







鼻歌でも歌いそうなルキアの笑みを見ていれば、熱があるにもかかわらず外を出歩くことへの苛立ちは、雪のように溶けて消えていく。
しかし石畳をちょんちょんと渡る足元はおぼつかなく、ふらふらと揺れる身体からはルキアが未だ本調子ではないことが見て取れた。
―今宵また寝込むであろうな
静かな思いで予測した白哉は、数日前から布団を敷きっ放しのルキアの部屋を脳裏に浮かべていた。






旅禍騒動以来、僅かながらも親しさの増した義兄妹の間では、互いの部屋を訪れる、ということが何度か繰り返された。
とはいえそれはあまりにもぎこちなく、何か話題がなければ間が持たないような心もとないもので、例えばルキアは鬼道の教本を持ち出して白哉に問うたし、白哉はルキア好みの菓子や小物を用意して広げて見せた。しかし当初は部屋を訪れれば恐縮していたルキアも、このごろでは多少はくつろいだ様子を見せるようになった。
数日前ルキアが風邪を引いてからは使用人に命じ、毎日布団を干させて新しい寝具へと取り替えている。だが、小さな畳の部屋からは薬の匂いとともに病人の匂いがした。
亡くなった妻の部屋と、同じ匂いだった。








音もたてず、山茶花の花びらが数枚地に落ちる。
何も言わずじっと自分を見下ろしたままの白哉に気づくと、ルキアは大きな瞳を曇らせて怪訝な表情を浮かべた。
「―兄様?」










妻との約束に背いた
家の掟に背いた
総隊長の意向に背いた
自分の行き方に背いた








ゆっくりとルキアの視界が翳る。
薄い唇が、熱を持って温かさを増した唇を柔らかくふさぐ。












そろそろ、神に背いてもいいだろう














勝手に白ルキ祭り第2段!(2?)これ以上エロくする自信がなく…

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