御題目次

淡雪記・秋思(中)





鉄斎が敷いた布団の上で苦しげに息を吐くルキアを、浦原はじっと見つめていた。
障子を締め切った部屋は、柔らかな光で包まれていた。火鉢で炭のはぜる音が、時折ひっそりと響く。
高熱以外に、変わった様子はない。おそらく今、町で流行っている風邪だろう。




来てくれてよかった、と素直に浦原は思った。
放っておいて治るものではないし、ここには薬も十分にある。
何より、彼女が自宅で臥せってしまい、店に来ないことを案じ続けるよりは、こうして看病できるほうがよほど落ち着く。
顔を見知ってから、まだ1年にも満たない。それでも、気丈で自立したルキアの性格は、よく分かっているつもりだ。
その彼女が、自分を頼ってくれたのだ。
この時代、風邪は命取りの病でもある。何をしてでも守る、と浦原は決めていた。
例えば冷たい秋の風や、寄る辺のない孤独や、このを毒すやからから。






数日前、裏で取引きのある菱屋の主人が、血相を変えてやって来た。
曰く、床の間に飾っていた画が、無くなっているのだと―
やはり、と静かに浦原は思った。やはり、朽木ルキアは狐火のギンの元にいるのだ。あの殺気から察するに、相当な執着を向けられながら。
次はどんな手を打つべきかと思案していた矢先の、ルキアの来訪と、この病だった。
相手が、血も涙もない非業の盗人だということは知っている。しかし浦原とて、ただぼんやりと闇の世界で生きてきた訳ではない。
―アタシから盗れますかねぇ…
枯れたと思っていた情念が、年甲斐もなく体の奥底から湧き上がってくるのを、浦原はひしひしと感じていた。






ルキアの額の濡れ手ぬぐいを取ると、枕元に置いた手桶の水にちゃぷりと浸す。
そのままルキアの真っ白な額に手を当てて、浦原はやはり眉間を険しくした。浦原の冷えた手に、ルキアの体はあまりにも熱かった。少しでも熱を奪うように、そっと手のひらを押し付ける。
冷えた手が心地よかったのか、ルキアの苦しげな顔が緩む。そして、
「ん…」
僅かに身じろぎした。
「朽木さん」
真上から覗き込むと、ゆるゆると瞼が開き、焦点の合わない瞳がぼんやりと浦原の姿を捉えた。
「お水、飲めますか?」
「ん…」
僅かに頷いてみせたものの、ルキアが起き上がる様子はない。
少しだけ待って、浦原は傍らに置いていた盆を引き寄せた。盆に載せた湯飲みには、浦原が調合した薬水が入っていた。




そっと布団を剥ぎ、ルキアの足元に重ねる。
上体を片腕でゆっくりと起こしても、ルキアの体には全く力が入らなかった。熱くなった体の、くったりとした重みが浦原の腕に委ねられる。胸に寄りかかるように引き寄せると、小さな体は呆気なく、浦原の両腕の中に納まった。
人差し指で細い顎を押し、顔を上向かせる。空いたほうの手で湯飲みを取り、薬水を少しだけ口に含む。
そしてそのまま、浦原はルキアの小さな唇を塞いだ。
「ん…」
ルキアのくぐもった声が、浦原の体に直に響く。
喉が渇いていたのだろう、ルキアは拒むこともなく、口移しで与えられる薬水を受け入れた。
細い喉がこくり、と飲み込んだのを確認して、浦原は顔を離した。
そして、様子を伺うためにちらりとルキアに視線を移して―




浦原は、動けなくなった。




高熱で乾ききっていたルキアの唇が、艶やかに濡れていた。飲み込めなかった薬水が口の端からこぼれて、顎をつたう。
緩んだ襟元からのぞく首筋は、じっとりと汗ばんでいた。その首筋から、甘やかな香りが匂い立つ。
長い睫毛に、秋の淡黄色の光が映っている。肌理の細かい白い頬が、赤く染まっている。
自分の描いた、あの画の姿が脳裏に浮かんだ。
ルキアの吐く熱い息が、浦原の胸の肌に触れる。ぞくりと粟立ったのを誤魔化すように、浦原は再び薬水を口に含んだ。
―朽木さんは、弱ってるんスから。
自分の中の、浅ましい思いに言い聞かせながら、急かされるように唇を重ねる。
熱を孕んだ唇は、ひどく柔らかかった。ルキアが再び、薬水をこくりと飲み込む。
そして注がれる薬水の合間で、ふと、ルキアの熱い舌先が浦原のそれに触れた。
「…」
突き上がる衝動に耐えるように、硬く、目をつむる。
しかし抗おうとする理性とは裏腹に、浦原の舌は既に、ルキアを求めていた。







「ん…っ」
強く、唇を吸う。 ルキアの呼吸を確かめて、苦しくなる間際に唇を離すと、今度は愛らしいその形を確かめるように、ルキアの唇を浦原の唇がなぞる。
ふるると力なく慄く花唇が愛しい。ルキアを抱く腕に、どうしようもない程の力がこもる。
体の奥が熱くなるのを感じながら、浦原は再び強く唇を重ねると、するりと舌を滑り込ませた。
触れ合った互いの舌先が、ぴくりと震える。その震えを愉しむように、浦原の弾力ある肉先が、ルキアの舌裏を繰り返し愛撫する。
ルキアのために調合した、少し甘い薬水の残滓を味わいながら、浦原はルキアの無防備な内側を求め続けた。
そうしながら、不意にいとおしむように唇を啄ばんでは、また、口の中深くへと舌を這わせる。
「んん…ふ…っ」
苦しげな声すら、浦原の欲望を煽るだけだ。
突き動かされるままに、片手をルキアの襟足に伸ばした時―






浦原の背中に、ぴたりと突きつけられた刃物の感触があった。
はっと息を飲んだ浦原の耳に、滑らかな、それでいて冷たい京都訛りが響く。








「そこまでや、闇商人」










御題目次


Copyright(c) 2011 酩酊の回廊 all rights reserved.