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淡雪記・着物にまつわる嫉妬〜闇の商人・浦原の場合〜(後)





彼にとってはこの世のすべての事柄は隠居した人間の道楽のようなものであった。


闇の商人家業だとて昔馴染みのために協力しているまでで金には不自由していない身ゆえこれも道楽の一つだ。
実際,何をやっても飛び抜けた才を示し,どのような仕事も人並み以上にこなせる浦原にとって,世界は退屈そのものであった。


かつて天才絵師として一世を風靡したこともあったが,描きたい被写体は描き尽くしたと判断した時から筆を手に取ることすらなくなっていた。
自分を天才などと称するのは趣味ではないが,この褐色の昔馴染みは己のことを『黄昏の天才』などと呼んでからかう。






そんな退屈しきった己の世界に飛び込んできた鮮やかな色彩。
小柄で可憐な肢体に似合わぬ清冽な存在感,ほっそりとした身体に微かにまとわりつく気の乱れは何か病を抱えているのかと思われるが,それを弾き返すほどの生命の輝きを放つ凛とした美しい少女。朽木ルキア,それがその少女の名前であった。


珍しく可愛らしい小物や文具などを置いてある浦原の表の店にしばしば立ち寄るようになり,次第に懇意になるにつれ,浦原は眠っていた女への恋慕と浮世絵への情熱がふつふつと滾るのを感じた。
この少女を描きたいという想いは男の欲望にも似てひどく性急で抑えが効かぬほど心を乱した。




浦原はすぐに少女の身元を調べさせた。
町娘の身なりではあるが,まるで武道の心得でもあるかのような隙のない身ごなしにお忍びの武家の令嬢かとあたりを付けて調べさせたのだが,不思議なことに少女に該当するような身元が一切見当たらないのだ。


ルキアのあとを付けさせてみても何故か必ずまかれてしまう。どんな手練に追わせても無駄であった。少女はいつも煙のようにその痕跡を断ち,決してその住居を明かしはしなかった。


目の前にいるというのにその存在を掴むことのできない,まるで幻のような少女。
背後に大物がいる,そう踏んだ浦原は店を訪れる彼女の身辺に己自身で眼を配るようになった。




そして,ついに掴んだ手がかり,可愛らしい小物に気を取られているルキアをじっと観察していたその時,殺気を感じた。針の先ほどの一瞬のものではあったがその殺気は己を射殺さんばかりに苛烈で鋭いものであった。
浦原でなければ気づくことさえなかったに違いない。そして自分の視線から逃れるように身を翻した黒い影にキラリと銀色が光ったことを浦原は見逃さなかった。
あの一瞬の殺気さえなければ己さえも気づくことの出来なかった完璧に消されていた気配,軽やかな身ごなし,わずかに煌めいた銀髪・・・浦原は戦慄した。




(・・・・まさか?・・・狐火のギン・・・)




闇の商人である浦原は当然名を知っていた。
京の街を賑わせる稀代の大盗賊「狐火のギン」,神出鬼没にしてその押し入られた家のものは尽く皆殺しという残酷さ故に恐れられていた男が,最近の噂によると一切の殺しはせず盗んだ金の半分は貧しい者に分け与えるという,なんとも今までとは正反対の盗みに志向を変えたという話は聞いている。
今までの気まぐれな押し込み強盗のような盗みではなく統制のとれた計画的な鮮やかな盗みの手口,そのあまりの手際の良さと用意周到さ故に盗みに入られた豪商や金満家の屋敷の者たちがその盗みに気づくのが何日もたってからというのも珍らしくないほどであるという。


世間では義賊などと噂されるようにまでなっているが,その狐火のギンに頭のきれる参謀がついたという噂を小耳に挟んだことがあった。
そして,その参謀は年若い女であるとも・・・




(厄介なことにあたしの勘は外れたことがないときている・・・)




だから,罠を仕掛けると決めたのだ。
次に狐火のギンが狙うであろう目的の商家や裕福な武家屋敷をひとつに絞ることこそできないが,手づるの情報屋から仕入れた極秘の噂から幾つか目星が付いている。そこに己の描いた浮世絵を売りつければ答えは出るはずである。
自分ではない男と恋人の痴態を描いた絵を見て果たして冷静でいられるか。この絵に何か変事があれば答えははっきりとする。
ルキアは狐火のギンのもとにいるのだと・・・




あの男の庇護のもとにいるとなれば,一筋縄で行くわけがないが相手さえわかれば対策の打ちようもある。
必ず手に入れてみせる。この退屈な人生の中で初めて欲した生命の光そのもののような少女・・・



同時に影のように少女に寄り添う銀髪の男の姿が脳裏に浮かび,久しく馴染みのなかった嫉妬が心を焦がす。




「もう一人あたしが描いてみたいと思った被写体がいるんですけどねぇ・・・」
浦原の口元がわずかに歪み笑みに似て非なる形につり上がる。
「ほう,おぬしが描きたくなるような相手がもうひとりいるとはな。ふふ,どうやらそちらは心ならずものようじゃが・・・」




夜一は浦原の複雑な苦笑を見て面白そうに笑った。











ふおおおおギンルキ←浦って淫靡ですよね…!!
続きます、というか必ず続けますkokurikoさん!!

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