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淡雪記・着物にまつわる嫉妬〜番外編





働きに応じての儲けの分配を済ませ,暫くは派手に金を使うことを禁じ,手下どもを返した後,ギンとルキアは順番に湯を使うと,新しい浴衣に着替え,ふたり並んで縁側の縁に座った。
リリと,か細い虫の声が響く中ふたりは無言で夜空を見上げた。



ギンは濃紺地に縞の浴衣に白地に黒縞の角帯を締め,やや着崩し胸をはだけている様がなんとも男の色気を漂わせる。
ルキアは白地に桔梗柄の浴衣に藍色の帯を締め,ギンとは違い凛と隙なく着こなしていた。しかし,艶やかな洗い髪だけはやや無造作に結い上げ,紅色の櫛で留めている。項にかかる後れ毛が愛らしく,細い首筋からふわりと立ち上る清潔な甘い香りがギンの欲望をくすぐる。
夜空に輝く満月を見つめる白い花のような可憐なその姿にギンの唇から満足気な吐息が漏れる。とっくにギンの視線は夜空からルキアへと移っていた。



夜空には煌々と満月が輝き,ふたりを照らす。
月明かりに照らされたルキアの横顔は浮世絵の美人画もかくやというほどの美しさであった。夢見るような菫色の瞳も,愛らしい朱唇も,細く尖った華奢な顎も・・・


(月よりもずっと綺麗や・・・)


ギンはごろりと横になるとルキアの膝の上に頭を預けた。ルキアはちらりとギンに視線を走らせたが咎めはしなかった。
片手に持っていた朝顔の絵が描かれた団扇でギンにも風がいくようにゆっくりと扇ぐ。
そのさりげない優しい仕草にギンの顔に柔らかな笑みが広がる。


「ギン・・・」
「なに?」
「・・・本当に私を信じてくれるのか?」
「信じるも何も・・・」
月から視線をそらさず,やや拗ねたように問いかけてくるルキアの言葉にギンはくくっと笑う。
「キミの身体がボクしか知らんことは,よお知っとるから。」
「えっ!?」
「あんなあ,ルキアちゃん・・・」
ギンは楽しげに笑いながらルキアを見上げる。
「キミが他の男と寝たりしたら,ボクはすぐわかるんよ。」
「――――?」


ギンはそっとルキアに顔を近づけるように手招き,項に柔らかく手の平をあてがい引き寄せると,耳元にくちづけるように囁く。
「ボクとキミがひとつになる時なあ,ボクのとキミのは刀と鞘みたいにピタリと合わさるんや。」
「・・・!―――」
ルキアの頬が羞恥で真っ赤に染まる。ギンは愛撫のように優しく言葉を続ける。
「それに,他の男に触れられた女の身体はどう隠してもその男の痕跡が残るものなんや。キミの身体に変な癖を感じたことは一度もない。だから,キミが他の男と寝てないことくらい最初からわかっとったんよ。」
ギンはルキアの耳朶を甘噛みそっと袷に手を差し入れる。
柔らかく揉みしだくと,ルキアの身体がぴくりと震える。
その反応にギンの口角が満足気に上がる。すみずみまで己が仕込んだ身体は小さな刺激に対してでさえ敏感に思い通りに応える。改めて安堵の思いが心を満たしていく。



(ルキアちゃん・・・キミはボクだけのものやね・・・)








ルキアに話すつもりはないが,ルキアと暮らす以前,茶屋で様々な敵娼と肌を合わせた経験からギンは知っていることがあった。



女の身体は同じ男を受け入れ続ければ自然にその男の身体に合った形にと変化する。
慣れというだけではなく,愛しい男ならばなお一層その分身を喜ばせるために身体だけでなく女の蜜壺もその形を変えていく。
愛おしい男が己を欲し求めるように,その全てを絡めとって離さぬように・・・



気まぐれな茶屋通いのなか情の薄いギンに,何故か情けのある花魁が心を寄せることが多かった。
そのせいなのか,もとから感覚が鋭敏であるからなのか,そんな不可思議な女体の神秘を知ることになったのは,二,三度肌を合わせた上位花魁にせがまれ,持った久々の逢瀬で感じた違和感からであった。
暫くの不義理の間に断りきれなかった上客と数度,逢瀬を持った花魁の身体はギンの身体にその痕跡を如実に伝えた。
もとから執着などなかった女に,その事で興ざめし通わなくなったのだが,その後その花魁は自害したという話をギンは人づてに聞いた。



女の心は体以上に厄介だ。ギンはそれ以来,茶屋で同じ遊女を二度抱くことはなくなった。






そして今や,茶屋に通うのはもっぱら情報収集のみで女を買うことすらない。
ルキアはそう思ってはいないようだが,あえて訂正するつもりもない。
ささやかでもいい,嫉妬と不安を持ってもらえたならと思う己に苦笑する。


(狐火のギンが何というザマや・・・)


ギンは自分と肌を合わせてきた遊女たちに欠片の情も持ってはいなかった。
しかし,ルキアの心の中はわからなくとも,身体は自分を裏切ってはいないことを彼女たちと肌を合わせてきたことで知ることができる。
そのことに対しては,今はちりと胸に微かな痛みを覚える。


そんな思いもルキアが教えてくれた感情だった。どんな美女を抱いても,人を斬っても知ることのなかった人らしい感情。
色のない世界に生き生きとした色彩をくれた,ただ一人の少女・・・
「ルキアちゃん,部屋行こか・・・」



ギンはルキアの耳元に甘い誘惑を注ぐ。
己だけのために咲く花,決して誰にも手折らせはしない。 この先たくさんの切なる熱い思いがこの少女のもとに向かい,焦がれさせ,命さえも失う者が出てくるかもしれない・・・
しかし,それすらもギンはルキアに届かせるつもりはなかった。他の男の寄せる愚かな感情に傷つくことさえ許しはしない,同情すら与えさせはしない。
他の誰にも・・・ルキアの感情は全て己にだけ向かえば良いのだ。




頬を染め微かに頷くルキアを軽々と抱き上げ,ギンは煌々と輝く満月を見上げる。
夜空に輝く月はいつのまにか,射すような銀色の光から柔らかな光へと変わり,そのとろりとした蜂蜜色の光はギンの欲情を密やかに煽る。




ふと,ルキアがよく小物や文具などを買いに行く店の主人の顔が脳裏に浮かんだ。
ギンはルキアが立ち寄る店や顔見知りの者たちのことは,全て把握していた。
ルキアを取り巻く,たわいのない日常の背景のような,ギンにしてみれば取るに足らない者たち。



しかし,その店の主人だけはギンの脳裏に単なる背景としては映らなかった。
店を訪れるルキアをからかい,軽口を叩きながらも決して不快感を与えない洒脱さ,にこにこと愛想はいいが,目深にかぶった帽子の影から覗く目が,本当は笑ってはいないことは初めてルキアとその男が話しているところを見かけて以来,気づいていた。
ルキアが可愛らしい小物や文具に気を取られている時に,ルキアを見つめる男の瞳に宿る光に覚えがあった。
それはルキアを初めて見かけ,とらわれた己の瞳と酷似していた。




ひょっとしたら,あの男は呉服商・菱屋のへの襲撃を知っていたのかもしれない。
それを知っていてあえてルキアの姿を描いた春画を菱屋に売り,部下の知らせで必ず自分の耳に入ることをよんで,挑発してきたのだと考えるのは穿ち過ぎであろうか・・・



腹の奥から笑いがこみ上げてくる。



(この狐火のギンから盗めるものなら盗んでみい・・・)



ギンは愛おしい少女を抱きしめながら満月ににやりと不埒な笑みを投げた。










ギンルキ浦ですよ!ギンルキ浦…!!(じたばた)甘々なギンとルキアに、横合いから入り込もうとする浦原…いいね!
どろどろともつれるがいいさ!ギンルキ浦の愛憎劇、万歳!!
こんな素敵なお話を、たった数日で書き上げてしまうkokuriko様に脱帽です。本当にありがとうございます!

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