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淡雪記・春(後)





1年後―
京は東山の、とある家で、ルキアは十数人の男たちを前に、大きな紙を広げていた。
居間と客間しかない小さな家には、よく手入れされた庭があり、今は白と紅の梅が満開を迎えている。障子を開け放った客間に、梅の楚々とした香りが漂う。春の日差しが、萌え始めた若葉を穏やかに照らしていた。




ルキアが白の紬に臙脂の襦袢、黒い帯をしゃなりと締めているのは、盛りの梅を考えた色合わせだろう。その姿は良家の子女にしか見えない。
しかしルキアの口から出たのは、およそ不似合いな物騒な言葉だった。
「二日後の亥の刻に決行だ。的は近江屋」
職人風、商家の主風、左官、着流し―
居並ぶ男たちの服装は、それぞれだ。その目が、一様にぎらりと光る。
「手はずは良いな?」
男たちが無言で頷く。
彼らは、ギンの手下だ。ルキアは今、盗みの企てをしているのだ。








あの夜から1ヵ月後。
堅物の兄をどう説得したのか知らないが、ルキアは本当にやってきた。



ルキアは、ギンがどれだけ残虐なことをしているのかを知っていた。その上で、
「ギン。半年の間、貴様の仲間を借りるぞ」
そう言って、ある計画を実行した。
ギンの手下の数人を「奉公人」として、悪名高い高利貸しの屋敷に潜り込ませた。
それから半年の間、金品の在りかを密かに探らせ、合鍵を作り、綿密な計画を立てた。
そして主人が留守になった夜、隙を見て、誰にも知られずに土蔵に隠された大判小判を運び出したのだ。
その額、しめて一千両。
一両あればなんとか一ヶ月は暮らしていける、と言われる時代に、これはもう無茶苦茶な金額だった。
ルキアはその半分を、高利貸しで苦しめられた人々に渡した。そして残りの半分を、手下に分けた。
いかにもルキアらしい、とギンは非難するでも褒めるでもなく、ただ微笑ましく思った。
どうりで、巷で狐火のギンが「義賊」といって人気になっているわけだ。この二つ目の盗みがうまく行ったら、人気はまた上がるだろう。






「良いか、約束を破ることは許さぬ」
ルキアの声が静かに響く。
「殺さぬこと、犯さぬこと、必要以上の金品を盗らぬこと」
男たちが、また無言で頷く。文句のあるはずがなかった。
ギンは、盗んだ金品をどう分けるかなど全く関心がなかった。だからいつも手下たちは、少しでも自分の分け前を増やすために、必要以上の殺しと盗みを犯した。
しかし下調べなどしないから、金品はうまく手に入らなかった。
真面目なルキアは、得た金品はきっちりと分けて手渡した。
ルキアのやり方は時間がかかる。はっきり言って面倒だ。だが以前よりずっと、いい暮らしが出来るようになったのだ。文句など出るはずがなかった。




一通り話し終わって、ルキアは見取り図から顔を上げ、
「それで良いな、ギン?」
縁側に座っているギンに呼びかけた。庭を眺めていたギンは、ゆらりと顔を向けて頷く。
「ルキアちゃんの好きなようにしたらええ」
そして人差し指を、す、と手下たちに向けた。
「君ら、ルキアちゃんの言う通りにせなあかんよ」
ごくり、と手下たちが唾を飲む。何より、この一言が一番怖いのだ。








細かい打ち合わせを始めた男たちを前に一息つくと、ルキアは縁側に座るギンへ視線を遣った。
ギンは綺麗だ。
男の人を「綺麗」と言うのはおかしいかもしれない。
けれども、それでもやはりギンは美しい、と思う。




はじめは、ギンを改心させようとした。けれども、それもすぐに諦めた。
浮ついた言葉をルキアによこすくせに、茶屋へ通うことを辞めようとしない。
何を言っても飄々と受け流し、いつの間にかふらりと出て行っているのに、気がつくとルキアの傍らにいる。
どこでどう手に入れたのか分からないが(恐らく悪い手を使ったのだろう)、随分高価そうな帯止めやら、怪しげな薬やらを持ち帰る。
それでも、ギンの仲間たちに言わせると
「お頭はすっかり変わらはった」
らしいのだが。




いったい何故こんな男に関わってしまったのだろう、と腹を立て、また叱り飛ばそうとして見ると、ギンが煙管を片手に外を眺めていたりする。
その姿に、ふと、見とれてしまう。
色の薄い髪が、日差しを受けて絹糸のように光る。
長い指が煙管を持つ所作には、少しの隙もない。
ぞんざいにまとった紫黒色の着流しの合わせ目から、色の白い胸元が覗く。
端正な横顔はいつも、世俗とは少し離れた空気を漂わせる。
それはちょっとした錦絵のようで、役者絵のようで、
―綺麗。
ルキアは思わず、小言を忘れてしまう。
掴みどころのない振る舞いの中に、時折おそるおそると込められている優しさを、ルキアだって気づいてはいるのだ。



見かけとは裏腹に、頭の切れる男だ。
こうして少しずつ傾きつつある心も、この男はとうにお見通しなのだろう。








「ルキアちゃん」
呼ばれて、はっと我に返る。ギンが、縁側から手招きをしている。
そそくさと歩み寄って隣に座ると、ギンは少しだけ肩を寄せて言った。
「その着物、よう似合うてる」
「そ、そうか?」
ぱっと頬を染めて俯く。その耳元で、ギンが低い声で囁いた。
「―脱がせとうなる」








「貴様!」
突然の怒鳴り声に、手下たちが一斉に顔を上げた。
「いつもいつもそんなことばかり言いおって!この変態!」
あぁまたいつもの、と手下たちが苦笑する気配が、ルキアを一層苛立たせる。
ばたばたと部屋を出て行く足音を、のらりくらりと長い影が追いかける。




ちぃ、とメジロが囀る。春は、もうすぐそこまで来ていた。










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