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淡雪記7





夏が来ようとしているのに、冷たい雨が降り続けていた。
ようやく膨らんできた茨の白い蕾も、時が止まったように開くのを忘れている。


外廊下を歩いていた白哉は、中庭の片隅に、義妹の小さな背中を見つけた。
沓脱石の脇に置いてあった傘を差し、庭を横切って近づいても、植え込みの陰になっている義妹は白哉には気づかない。




「何をしている」
「…兄様」
ルキアは傘もささずに、手にした石で地面を掘っていた。
その小さな左手には、メジロが横たわっている。ルキアが大事に飼っていた鳥だ。
「死んでしまったのです」
背を向けたまま、ルキアは湿った地面を掘り続ける。
ここに墓を作るつもりなのだろう。掘られた穴は、既に十分な深さになっていた。
「また取り寄せよう」
「…はい」
ルキアが望んでいるのは代わりの鳥ではない、と分かっている。分かっていても、白哉には、他にどう言葉をかけたらいいのかが分からない。
手が汚れるのも構わずに、ルキアは地面を掘る。着物の裾には泥がつき、草履の先は雨で濡れている。
そうしてできた小さな穴に、そっとメジロを横たえると、土がついたままの両手を合わせた。
そして長い間、そのまま顔を上げなかった。








今日の用心番は修兵とイヅルだ。
長屋で寝ている恋次をそのままにして、二人は屋敷の敷地内を見回ることにした。
空は明るいのに、薄い雲からは糠のような細かい雨が降ってくる。和傘を差しても音を感じない雨は、それと分からないうちに静かに辺りを冷たく濡らし、何もかもが薄ら寒く感じた。



建物に沿って角を曲がろうとしたとき、先を歩いていたイヅルがふと足を止めた。身を隠すように、壁に身を寄せる。
修兵も体をこわばらせ、腰を落として身構えた。
―賊が来たか。



「ほら」
イヅルが、少し微笑んだまま振り向き、建物の先を指差した。
襲撃か、と思っていた修兵はイヅルの笑顔に少し拍子抜けして、その視線の先を確かめた。ルキアが中庭の片隅にうずくまり、何かをしている。
それに寄り添うように、白哉が傘を傾けていた。
ルキアは傘に守られ、熱心に地面をいじっている。
うつむいた髪に隠れて顔は見えないが、決して楽しい様子でないことは分かる。元々小さな体が、痛々しいくらい小さく見える。



当主は雨に濡れている。
黒い髪からは雫がしたたり、仕立てのよい羽織も着物も、水を含んで色が変わっている。
ルキアに傘をかざし、その背中をじっと見つめたまま、微動だにしない。
二人の周りだけ、音が消えたような光景だった。







修兵は、面通しで初めて会った時の二人の様子を思い出していた。
初め、ルキアに真っ直ぐに目を見られて、年甲斐もなくたじろいだ。
お世辞くらいいくらでも言える修兵だが、世辞でも何でもなく、ルキアは本当に魅力的だと思う。
街に出たら、あっという間に有名になるだろう。それでも名前すら聞いたことがない、ということは、それだけこの当主が厳重に守ってきたということだ。




ルキアが何をしているのか、修兵の位置からは見えない。
だが降りしきる雨の中、二人が悲しく静かな空気に包まれているのを、修兵は驚きとともに見つめた。
あの時、体の奥底が冷えるほどに感じた威圧感が、今の白哉にはなかった。
なす術もなく、言葉もなく立ち尽くす。
ただ一人の、不器用で哀れな男の姿だった。








その場をそっと去りながら、イヅルは言った。
「仲のいい兄妹だね」
修兵はイヅルののん気さに、内心で舌打ちをした。
―兄妹、ね…



昔から、武家ではよくあることだ。死んだ妻の妹を家に迎える、ということはつまり…



―まるで夫婦めおとじゃねぇか。




修兵は赤い髪の仲間を思い、盛大に溜息をついた。










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