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淡雪記2





三人は街の道場で出会った。
檜佐木修兵は幼い時に両親を亡くし、武家の叔父の家に引き取られたが、叔父夫婦も亡くなった上に上司の失脚で職を失った。吉良イヅルは上方の武家の出身だったが、これも上司が失脚し、職を失ったということだった。
当時、このように職にあぶれた侍は少なくなく、よほどの身分の者でなければその生活は商人よりも厳しく、時には農民よりも貧しかった。
阿散井恋次も、元は下級武士の家である。藩主の跡継ぎを巡るお家騒動の結果、藩が取り潰しとなり、故郷を離れて江戸へとやってきた。しかし恋次の場合は幸運で、とある縁で用心棒としての働き口を見つけていたのだ。



同じ時期に市ヶ谷・神楽坂の道場に通い始めた三人は、初対面から不思議とうまが合った。
修兵は他の二人より少し年上だが、同年代ということもあり、道場の帰りにはよく三人で飲みに出かけた。そして、剣の腕も申し分ないことを見極めた上で、恋次が二人に仕事を持ちかけたのだ。一緒に働いてみないか、と。
そして今日は、二人の面通しにやってきたのだ。




「ここだ」
恋次が顎で示したのは、見上げるほど大きな黒門の前だった。
「―すげぇ」
ふと振り返れば、先程まで道の片側に伸びていた白壁は、全てこの屋敷のものだったのだ。近くには加賀藩前田家の10万坪とも言われる屋敷があるが、その朱塗りの門にも見劣りしない門構えだ。
「…緊張してきた…」
イヅルは顔を青くして、せわしなく刀の柄をいじっている。門の両側には槍を構えた門番が立っており、恋次が軽く会釈をすると門の隣にある小さな木戸を開けた。
「どうぞ」
身を屈めて木戸をくぐる。そして目の前に現れた光景を見て、二人は言葉を失った。



門から母屋までは30間(約50m)ほどあるだろうか。
母屋に向かって、よく掃き清められた石畳が伸びていた。石畳の両側には玉砂利が敷き詰められ、松や紅葉、ツツジといった木々が、こんもりとした緑を茂らせている。
その木々の間を望むと、右手には巨大な石を並べた池が、左手には白砂もまぶしい枯山水の庭が広がる。庭の全容となるとどれだけの広さになるのか、二人には想像もつかない。
母屋もまた広大だった。建物に沿って折れ曲がるように外廊下が続いているのが、木々の間から垣間見える。
玄関の土間の上には、鷹を描いた黄金の衝立が立っている。まるでその鷹に睨まれたように、修兵とはごくりと生唾を飲み込んだ。




恋次はその玄関へは向かわず、白壁沿いに二人を案内した。
庭を横目に見ながらしばらく歩くと屋敷の裏手に出た。そこに大きな井戸があり、傍らで年増の女が一人、野菜を洗っている。女は足音に気づいて頭を上げると、ぱっと顔をほころばせた。
「あら、阿散井さん」
「おツタさん、お邪魔します」
「なに水くさいこと言ってんのよぅ、阿散井さんは貴重な生き残りなのに」
化粧っけは全くないが、その柔らかい笑顔に修兵とイヅルの顔も自然とほころぶ。
「そちらは新しい先生?」
「はい」
会釈をする二人を交互に見比べて、ツタと呼ばれた女は恋次の顔を見上げる。
「あらー」
そして心底残念そうな声で付け加えた。
「勿体無いわねぇ、いい男なのに」




井戸の隣には戸口があり、中に入るとそこは台所だった。
土間にはかまどが並び、飯炊き女たちが懸命に火を起こしている。傍らでは中年の男女数人が、包丁や食器を手に忙しく立ち働いていた。煮物や焼き物の香ばしい香りが辺りに漂う。
時刻はまもなく7ツ(午後4時)、夕餉の時間だ。



恋次の姿を見て、使用人たちが次々に声をかけた。彼らの屈託のない様子に、恋次がこの屋敷の使用人に気に入られているのがよく分かる。
かまどの脇のたたきを上がると、一人の柔和な表情の老爺が立っていた。恋次が軽く会釈をして紹介する。
「ここの侍従長の清家さんだ」
「ようこそお越し下さいました」
豊かな白髭をたくわえたその老爺は、3人を屋敷の中へと促した。
足音も静かに歩く清家に続いて、回廊のように折れ曲がって続く廊下を歩く。廊下脇の庭には、楓や椿、桜といった樹木が植えられ、しっとりと潤った苔が美しい。障子が開け放たれている部屋を横目で見ると、どの部屋も花が生けられ、掛け軸や壷といった調度品が飾られている。
そうして、渡り廊下を幾つか渡った。一番長い渡り廊下の下には、小川が流れていた。黒門から見えた、あの池につながっているのだろう。



しばらくして、清家は一つの部屋の前で立ち止まった。
「こちらでお待ち下さい。すぐお見えになります」











かなり長くなる予定ですが、どうぞお付き合い下さい…!

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