御題目次

だからヒトは欲しくなる





昔から、人に任せるのが苦手だった。
自分が手掛けたものは、最初から最後までたずさわらないと、落ち着かない。
仕事を人に任せたものの、結局あれやこれやと面倒を見たがる自分を、親切だと言う者もいた。
けれど、そうではない。
原因を探り、万全の対策を考え、その結果までの全てを見届けないと気が済まない。それは責任感でも使命感でもなく、ただ、科学者としての業だ。結末に至る、ありとあらゆる要素をこの手の内に掴みたい、という科学者としての執念だ。
そういう意味では、自分はやはり技術開発局の者なのだ、とつくづく思う。



浦原は、見るともなしに自分の手のひらを眺めながら、一護の話を聞いていた。
死神の力の鍛え方を尋ねに来た一護は、どこからか話の糸口が逸れて、今はルキアへの不満を口にしていた。
曰はく、ルキアは一人で背負いすぎる、もっと周りの奴に――つまり自分に、ということだろう――任せればいいのに、と。


「親父からよく聞かされたぜ。『人という字は、人と人とが支え合ってできてんだ』ってさ。」
ようやく言葉が途切れた一護を待っていたかのように、窓辺に吊るした風鈴が、りん、と鳴った。丸くふくらんだ硝子の曲面に、庭の若葉が透ける。うんざりした様子を隠すこともなく、浦原は言った。
「随分と豪気になったもんスね、黒崎サン。」
かちん、と癇に触れて、一護は鋭い視線を浦原に寄こした。
ああまた、そうやって分かりやすい反応をする、と浦原は浮き上がる苦笑を帽子の陰に隠す。
おそらく、力をつけたことが大きな自信になっているのだろう。浦原から見れば、一護の振る舞いはあまりにも子どもじみているし、短絡的だ。しかし、相手は子どもだから仕方ないと思いながらも、浦原は辛辣な言葉が出てくるのを抑えることができなかった。傷つけると分かっていながら、その傷をさらにえぐる言葉を、浦原は知っている。
一護が今、一番気にしていること。最も触れられたくないこと。
颯々とした青空に乗せるように、さらりと口にする。

「それに朽木サンは、ヒトじゃない。」

さりげなく視線をやると、思った通りに、一護はぐっと奥歯を噛みしめて視線を落としたところだった。
浦原は帽子を被りなおす振りをして、一護から目を逸らした。朝から聞こえていた鳥の囀りも、今の時間には止んでいた。
一護がルキアに向ける想いくらい、とうの昔に気づいている。そして死神と人間、という住む世界の違いが、一護を踏みとどまらせていることも知っている。
――覚悟が、足りないッスねぇ。
自分が一護に抱く苛立ちの根源が、そこに行きつくことも分かっていた。




一護が不機嫌なまま帰った後、浦原はいつになく沈んだ思いで、縁側にあぐらをかいていた。
煙管から立ち上る煙が、初夏の透き通った空に消えてゆく。庭に茂り始めた青葉が眩しくて、浦原は目を細めた。
再び、手のひらを眺める。
崩玉を彼女に埋めた時、全ての葛藤を引き受けると決めたのだ。これから起こる争いの顛末も、いずれ向けられるであろう罵声も非難も、全て一人で受け止めると決めたのだ。
その自分に比べたら、一護の抱える迷いは、なんと浅く、青いことだろう。

所在なく煙を吐きながら、浦原の意識はいつの間にか建物の反対側、店の入り口のほうに向けられている。
勢いよく戸を開ける音、それに続く律儀な足音、気の強さが滲む声音。今にも彼女がやって来るのではないか、と探っている自分にふと気がついて、浦原は苦い笑みをこぼした。
「アタシも弱くなったもんスねぇ…」
彼女の命を脅かし、平穏に済んだかもしれない生活を変えてしまったのだ。自分が許されるとは思っていない。
けれども、自分のあずかり知らない遠くの場所で、彼女が事実を知り、傷ついていくのは耐えられなかった。間近にいれば、力を与えることもできる。非道をなじるその言葉を、額づいて詫びることもできる。
彼女が何を選び、何を諦めるのか、その一部始終を見届けることができる。
それは作り手としての業であり、科学者としての性のはずだった。
どこかの時点までは。




がらり、と遠くで引き戸の音がして、浦原はふっと口元を緩ませた。自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。そのことが妙に愉快で、薄く笑みを浮かべたまま、ごろりと仰向けになる。
身体をなぞるように、穏やかな風が通り抜けていった。見上げた空を、真っ白な雲がゆっくりと流されてゆく。ついと視界を横切ったのは、渡ってきたばかりの燕のつがいだろう。
深く息を吸うと、澱んだ考えが霧のように消えてゆく。
何にイラついていたのか、何を考えていたのか。
もう一度巡ろうとしたその思考を蹴散らすように、ぱたぱたと素足の足音が廊下を進む。耳を澄まし、ああ今日の彼女はご機嫌スね、何か苦情を言いに来たな、と思っているうちに、その音は真っ直ぐに浦原へと近づく。
そして間近で止まると、怪訝そうな顔がひょいと浦原を見下ろした。

「いらっしゃい、朽木サン」
「…相変わらず暇そうな奴だな」
「待ってたんスよ」
「分かった分かった、この間の義魂丸だが―」
言いながら踵を返そうとしたルキアが、はっと動きを止める。白いワンピースからすらりと伸びた足、その細い足首を、いつの間にか浦原の片手が握っていた。ルキアの長い睫毛が、ぱちりと大きく一つ、瞬く。
「待ってたんスよ」
突然吹いた強い風が、ルキアの黒髪を揺らしていく。その勢いに煽られて、風鈴が身悶えするように鳴り続ける。




どこを間違ったのだろう。
何を見誤ったのだろう。
手の内に納めておこうとしたモノ。しかしそこからこぼれ、あふれ出てしまうモノ。
そうして、ひとたび手を離れてしまったモノは止め処なくあふれ続け、ただ呆然と立ち尽くし、見つめるしかない。
だからヒトは欲しくなるのだ。
支えてくれるヒト、分かち合えるヒト、許し合えるヒトを。
疼きを委ねられる、そのトキを。




りん、と硝子が大きく一つ鳴って、ざわめきは収まった。黙って見上げたままの浦原から、ルキアが視線を逸らす。そしてふうと小さく息を吐くと、顔にかかる髪を耳にかけた。
「これでは、逃げられぬではないか」
観念したように静かに言うと、ワンピースの裾を丁寧に押さえ、縁側に腰を下ろす。綺麗に揃えられた両膝が、浦原の間近にある。
「しようのない奴だな」
ためらいなく伸ばされたルキアの細い指が、浦原の額の髪をゆっくりと撫でた。ぱさり、と音を立てて帽子が転がる。
「浦原」
目で言葉を促した浦原に、ルキアはいたずらっぽく笑った。
「この膝の上くらい、甘えて良いのだぞ」
わずかに目を見開いた浦原を、ルキアが笑みを含んだまま見下ろしていた。大きな灰紫の瞳は、吸い込まれそうなほどに深い。
「―参ったな」
握りしめた拳を、こん、と瞼に当てる。帽子を失った目元は隠しようがなく、身体の奥底まで晒されているようで心もとなかった。閉じた瞼にぐっと力を入れても、そこにルキアの瞳の名残がちらついて落ち着かない。
浦原は片肘をついて体を起こすと、投げ出すように頭をルキアの膝上に乗せた。途端に、柔らかな温かさが頬に触れて、ルキアの匂いに包まれる。
くすりとルキアが笑う気配があって、ぱさついた髪を労わるように掻き上げる。自分がどんな顔をしているのか見当もつかず、ルキアの顔を見上げることができない。浦原は居たたまれなさに身じろぎすると、両腕をルキアの細い腰に回した。ゆっくりと息を吸うと、そこはルキアの息遣いだけに包まれた、甘く穏やかな世界だ。
緩みきった身体に、指先のささやかな感触が響く。
委ねる心地よさに、浦原は飼い猫のようにうっとりと、両目を閉じた。











「絆創膏」の逆サイドからのお話です。

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