白雪姫
とある深い森の中。
一護は道に迷っていた。家族と一緒に森へ遊びに来たはいいが、どうもはぐれてしまったらしい。ふと気がつくと、後についてきていると思った妹達の姿はなく、一人、森の小道に立ち尽くしていた。
「…シャレになんねぇぞ、おい」
しばらくは大声で名前を呼んでみたり、歩いてきた(と思われる)道を戻ってみたりしたのだが、森を抜ける気配は全くない。いやむしろ、どんどん森の奥へと入り込んでいる気がする。木々の緑は濃さを増し、先が見えないほどの大木が増えてきた。もともと心細いくらいに小さかった通り道は、とっくの昔になくなった。時折、茂みの中で何か獣の気配がする。
一護は考えるのを止めた。
―あくせくしたってしょうがねぇ。こうなったら、森を出るまで歩き続けてやるさ。
肝の据わり具合には、自信がある。
そう腹をくくると、森の中を歩き回るのもそう悪い気分ではなかった。
鳥のさえずりを聞き、新緑の間から光る木漏れ日を身体で受ける。自分の足音だけが、木々の間に反射する。鹿の親子を見付けた時には嬉しくなり、思わず頬が緩んだ。
何時間歩いただろうか。
さすがに少し疲れたかな、と思い始めた頃、突然木立ちの合間に建物らしきものが見えた。
「…あ?」
疲れた足のことも忘れて、吸い寄せられるように近づく。
―こんな森の奥に、人が住んでんのか?
次第に木々の間から姿を現したそれは、丸太で作られたログハウス風の建物だった。
「…なんだ?これ」
そう大きな建物ではなかった。地上から少し床を高くして作られた1階部分には、同じく木で作られたドアと大小幾つかの窓、広めのテラスがあった。テラスには木のテーブルとベンチ。誰かの食べ残しか、パンの欠片が転がっている。バケツやスコップ、木製の箱が壁沿いにきれいに片付けてある。1階建て程度の高さだが、屋根に近い場所には小窓が並んでおり、恐らく屋根裏のような形で2階部分があるのだろう。
全ての窓にレースのカーテンがかかっていて、中を見ることはできない。だが手入れの行き届いた様子には明らかに生活の匂いがあり、人が住んでいることは確かだ。ぐるりと建物の周りを巡ると、日当たりの良さそうな軒先に、丁寧に皮の剥かれた柿が数列吊るされていた。
「干し柿…ってことは婆さんか?」
と、その時。
「おいテメェ、何やってんだよ」
「うわ!」
突如現れた男の子の姿に、思わず飛びのいた。背格好は一護の腹のあたり、小学校一年生くらいだろうか。高い位置でくくられた真っ赤な髪が目を引いた。年齢にしては凄みのある目線を、じりじりと向けてくる。
「何やってんだって聞いてんだよ」
「あ、いや、ちょっと道に迷って…」
「とか言って、いまルキアの干し柿取ろうとしただろ」
「…は?」
「貴様ごときが口にできると思うな」
「うわっ!」
いつの間にか一護の隣に立っていたもう一人の子供が、冷たい声で言い放った。こちらも同じく男の子だが、白く整った顔立ちに肩までの黒髪。切れ長の目が冷たい印象を与える。
「どうしたん?この男」
その後ろから、もう一人の男の子が出てきた。目も口元もにこりと笑ってはいるが、警戒心がぴりぴりと棘のように刺さってくる。
「おかしいぜ、こんな所に人が来るなんて」
今度は、短髪の男の子。ふと見渡すと、柱の陰にも一人の男の子が立っており、こちらをうかがっていた。近くの窓からは青白い顔をした、不気味な子供もこちらを見ている。夜中に見たら、間違いなく幽霊だと思っただろう。気がつくと一護は、周りをすっかり囲まれていた。
「え、あ、だから道に迷って…」
しどろもどろになって説明しようとするが、少年たちに一護の言い分を聞く気配はない。じわりと間合いを詰められ、剣呑な視線を身体中に浴びる。子供とはいえ、集団で囲まれるとこんなに怖いものなのか。それとも、この子供たちが人並み以上に怖いのか。
―俺、悪い夢でも見てんのかよ??
あまりもの居心地の悪さに、さてどうやって逃げようかと考え始めたその時、救いの声が聞こえた。
「ど、どうしたのだ、みんな?」
一護を取り囲んでいた子供たちが、ぱっと後ろを振り返った。途端に歓声が沸き起こる。
「ルキア!!」
子供たちの背後から現れたのは婆さんなどではなく、少女とも言えるような若い女だった。雪のように白い肌、黒檀のように黒い髪、薔薇のように紅い唇。藍色のワンピースからすらりと伸びた細い手足が眩しい。どこかに行っていたのか、手には大きな藤カゴを下げていた。大きな瞳を不安げに瞬く。
「何かあったのか?」
子供たちは一目散にルキアの元へと駆け寄る。一護はようやく息をつくことができた。その時、ルキアは初めて一護を見た。綺麗な紫色の瞳だ、と思った瞬間に、その視線は慌しく子供たちへと向けられる。
「この輩が突然やって来た」
「ルキア、俺たち、ちゃんと留守番してたぜ!」
「ルキアお帰りなさーい!」
「あーっ!キスケ!抜け駆けはあかんで!」
「早い者勝ちっス」
我先にと女に飛びつき、全員が事情を話そうとする。まるで、親鳥に餌をねだる雛たちだ。ぴぃぴぃわぁわぁとやかましく、一人ひとりの話など全く聞こえたものではない。
「えぇい!訳が分からぬではないか!」
女は堪りかねたようにワンピースのポケットから銀色の笛を取り出すと、精一杯息を吸い、勢いよく吹いた。ぴりりり、と音が響きわたり、人差し指を高々と上げると軍隊よろしく号令をかける。
「全員、整列!!!」
その瞬間、子供たちの目つきが変わった。ぎらりと緊迫した空気が辺りを覆い、子供たちはいっせいにルキアの周囲に並ぼうとする。
「よっしゃ、俺が1ば…ぐほっ」
と、赤髪の子供が駆け寄ったその瞬間、その身体はがくんと前のめりになると倒れこんだ。傍にはあの、冷たい黒髪の少年が立っている。そ知らぬふりで立っているが、握られたその拳が赤髪の子供のみぞおちに入ったのを、一護は確かに見た。恐るべき早業、恐るべき殺意。
「白哉!水月だけは突くなと言ったではないか!」
その白哉と呼ばれた子供は、ぷいと顔を背け、唇を尖らせる。
「1番は私だ」
その言葉を無視して、ルキアは赤髪の子供の元へ駆け寄ると優しくその身体を抱え込んだ。
「恋次、大丈夫か?」
「だい…じょぶ…」
傍からどう見ても、大丈夫な様子ではない。それでも心配を掛けまいとする、恋次と呼ばれた少年のその健気さに一護は軽い同情を覚えた。
恋次がようやく息をつけるようになると、ルキアは隣に並んでいた少年に目を移した。
「修兵、お前はまたこんな所に傷を作って…」
黒髪を短く刈り、細い目をした少年だった。よく日焼けした額には切り傷があり、血が滲んでいた。その血をふき取ろうと腰を落としたルキアの膝の上に、少年はするりと身体を寄せる。そのまま膝の上に仰向けになると、怪我した額をルキアに突き出した。必然と、ルキアは少年を膝の上に抱っこする形になった。
その瞬間、殺気とも呼べるような緊迫した雰囲気が周囲の子供たちの間に漂う。しかし少年は平然とした表情で、むしろ優越感すら漂わせてルキアの手当てを受けている。このガキ、子供のくせして侮れない。
額の血をふき取ると、ルキアは修兵を膝から下ろした。未練がましく居座ろうとするのを押しやると、その隣に立つ青白い幽霊のような子供に声をかける。
「ただいま、阿近」
ルキアはその白い手を伸ばすと、ゆっくりと少年の髪を撫でた。少年はうっとりと目を細め、口の端を笑いの形に歪める。明るい戸外のはずなのに、辺りには隠微でねっとりとした雰囲気が漂う。その喜び方は、他の子供とは明らかに違っていた。無邪気な喜びとは程遠い、恍惚とも表現できるような歪んだ喜びだった。一護は、薄ら寒いような気配に思わず眉をしかめる。
その空気にたまりかねたのか、隣に並んでいた少年がルキアの腕を揺さぶった。
「ボクにも!ボクにも抱っこしてなぁ」
「ギン、分かった分かった」
ルキアは阿近から手を放すと、ギンと呼ばれた少年を抱きしめた。少年もひしとルキアの背中に抱きつき、一見すると微笑ましい親子のようである。しかし少年はルキアからは見えない角度でにやりと笑い、細い目の端で他の子どもを見やった。見ていた一護の背筋にもぞくり、と寒気が走る。
その隣には、クリーム色の髪をした少年が立っていた。口元はしまりなく笑っているが、一時たりとも一護から視線を逸らしてはいなかった。その視線の鋭さに、只者ではない雰囲気を感じる。
「喜助、留守中、変わったことはなかったか?」
「ないっス。あの男以外は」
ルキアの信頼しきった口調からすると、この少年が最年長らしかった。少年は慣れた仕草でルキアの手を取ると、その白い手の甲に軽く口付けを落とした。ルキアはそれを受け入れ、穏やかに微笑む。
最後に並んでいたのは、長い白髪の少年だった。ひょろりと高い身長はうつむき加減で、どうやらやっと立っている、という姿だった。
「お帰りなさ…ごほっ」
「十四郎!!」
慌てて抱きかかえるルキアの様子を、他の子供たちはじっとりと見ている。どうやらこの少年は病弱らしいが、だからといってルキアを独占することは許されないらしい。しかし赤髪の少年のように攻撃を受けないということは、それなりに大事にされているのだろう。
「お前は寝ていていいのだぞ」
「でも笛の音が聞こえたから…」
ぜいぜいと苦しい息の中で、少年は精一杯に微笑んだ。少し寂しげなその笑顔に、誠実さと優しさが伝わる。
十四郎という少年の咳が収まると、ルキアはくるりと一護の方を向いた。優雅な仕草で立ち上がると、深々と頭を下げる。
「この子らが非礼を働いてすまなかった。おぬしは?」
「黒崎一護だ。森を散歩してたら道に迷っちまって・・・」
「こいつ、干し柿盗もうとしたんだぜ!」
「恋次!干し柿の一つや二つくらい良かろう」
恋次にとって、ルキアの干し柿はとても大切なものらしかった。
「私は朽木ルキアだ。この子らの母親代わりをしておる」
「母親?」
「この子らには親がおらぬ。私が身の回りのことをして、ここで共に生活しておるのだ」
「でもよ、こんな所じゃなくても…」
白哉がルキアと一護の間に入り込み、視線も言葉もさえぎった。
「ルキアは、悪い輩に狙われている」
「悪い輩?」
「あんたさんの素性が分からんから、それ以上は言えへんなぁ」
ギンがへらりと笑いながら、しかしはっきりとした敵意を向けてきた。その横から、阿近がさも興味なさそうに呟く。
「こいつは藍染の仲間ではない」
喜助もこくりと頷く。
「藍染は、こんなマヌケな男は送ってこないっスよ」
「二人とも!客人に向かってなんという言い方だ」
その横合いから、十四郎が申し訳なさそうに説明した。
「僕たちは、ここで7人で暮らしていたんです。そしたらルキアがやってきて…」
しかし言い終わらず、ごほごほと咳き込んだ。ルキアはそっと、その小さな背中をさする。
「ルキアは藍染って男に追われて、この森に逃げ込んだんだ」
「俺らが見つけたとき、ルキアはボロボロだった」
修兵の言葉にその時の様子を思い出したのだろう、子ども達はみな暗い顔でうなだれる。十四郎に至っては、目に涙すら浮かべていた。
「でもここは、森の奥で誰も来ないっス。だからルキアはここで身を隠すことにしたんスよ」
「ご飯を作って、寝床をしつらえて、洗濯をして、縫い物や編み物をして、どこもかしこもきれいにするという約束で」
「その代わり、何かあったときは俺たちがルキアを護るんだ」
お姫様を護る騎士のつもりか、子ども達は一様に目に強い力を宿した。それを見ながら、ルキアは少し困ったように笑っている。
一護は次第に苛々としてきた。
「子どもの力で何ができるってんだよ」
子供が束になったところで、どれだけの力になるかはたかが知れている。藍染という男がどんな奴かは知らないが、この美しい少女を護るには、この子供たちではあまりにも心元なさすぎる。
―俺が護ってやる。
子ども達の壁をぐいと押しやると、一護は一歩踏み出した。ルキアの白い手を取る。一護の手のひらにすっぽりと収まってしまう、愛らしい手だった。握った指に少しだけ力を込め、真っ直ぐに見つめる。
「俺と一緒に来ないか?」
大きな瞳が不安げに瞬き、一護を見上げた。薔薇色をした唇が、ゆっくりと開く。
―イエス、だろ?
しかしルキアの唇からこぼれたのは、期待とは全く違う言葉だった。
「一護、後ろ…」
はっとして振り向くと、そこには―
数時間後。
一護は、懸命にその姿を探していた家族によって発見された。森のはずれに大きな麻袋が落ちており、中で何かが激しく動いているので恐る恐る開けると、猿轡をはめられた一護が出てきたのだった。
猿轡を外された一護は、かなりいらいらした様子で悪態をついていたという。妹二人によれば、「あのクソガキども!」「ぜってー奪い取ってやる!」としきりに言っていたらしい。
週末のたびに、一護は森へ入った。
挑むこと数十回。
姫とその子ども7人には、未だに会えないままだという。
やたら長くてすみません!!でも子ギンや子修兵を想像するのは楽しかった…
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