御題目次

僕を消していく





よく晴れた土曜の昼だった。
勢いよく押入れから飛び降りると、ルキアは一護の部屋の真ん中で、高らかに宣言した。
「よし、出かけるぞ!」
「は?」
呆れた声を上げた死神代行を前に、ルキアは腰に手を当てて、それはもう、とても偉そうに笑っている。一護は机の上の教科書を、片手でぱんぱんと叩いた。
「つーか、月曜は化学の小テストだろ。テスト勉強終わったのか?」
「うむ、明日教えてもらう」
「…誰にだよ」
「貴様に決まっているだろう!」



ああああ。
盛大に溜息をついた一護をよそに、ルキアは窓の外を眩しそうに眺めた。
「天気予報によると明日は雨だ。どうせ家に籠もるしかあるまい。今日はせっかく天気がいいのだ。もったいないと思わんか?」
「てめー、化学は苦手じゃなかったのかよ」
「それとこれとは別だ」



その大きな目は、なんだか妙に毅然と、そして確実にワクワクしている。
こうなったら、何を言っても無駄なことを、今の一護はよく知っていた。
「…へいへい、お供しますよ」
重い腰を上げた一護を、ルキアは満面の笑みで見上げた。






繁華街の人通りは多かった。
ルキアがはぐれてしまわないように、一護はちらりちらりと後ろを振り向きながら歩かないといけない。が、ルキアはそんな一護の気遣いなどお構いなしで、気に入ったものを見つければふらりふらりとお店に入ってゆく。
そうして、何度目かで背後の黄色のワンピース姿を見失った時だった。
「お」
一護は一つの店の前で足を止めた。
前から欲しいと思っていたバッグがあった。値段は、まぁ安くはないけど、手が届かないわけでもない。どうしようかと迷う横から、どこから戻ってきたのかルキアが覗き込んだ。
「なんだ貴様、こういうのが好みなのか?」
「悪ぃかよ」
「貴様にはあっちの方が似合うと思うぞ」
ルキアが指差したのは、同じ形だが色の違うバッグだ。
―確かに、悪くない。
が、自分の思っていたものと違うものを買うのは勇気がいる。一護はしばらく考えた後、
―ま、いいか。
ルキアの指差したバッグを手に取ると、レジへと向かった。



紙袋を提げた一護が戻ってきて、しばらくは並んで歩いていた。が、ルキアは今度は大通りを外れて、小さな道へふらりと入った。
「っおい」
「一護!桜が咲いてるぞ!」
指差す方向を見れば、満開の桜の木が立っているのが一護にも分かる。渋々ついていく一護の前で、ルキアの足取りは弾むように軽い。
その小さな道の突き当たりには川があり、川沿いに桜の並木が続いていた。家族連れやカップルに混じって、二人も頭上を見上げながら歩く。



天気のいい、穏やかな午後だった。まるでこの桜並木だけ、時間がゆっくりと流れているようだった。
風に散る花びらに歓声を上げるルキアを、一護はぼんやりと眺めていた。





1時間ほどぶらぶらと桜並木を歩いて、一護は時計を見た。日は傾きかけている。柚子が夕飯を作っているだろうし、門限に帰らないとあの親父がうるさい。
一護は前を歩くルキアに声をかけた。
「おい、そろそろ帰る―」
「これは何の匂いだ?」
ルキアが唐突に振り向いた。風に乗って、甘い香りが漂ってくる。一護は嫌な予感がした。
「あそこでクレープ売ってんだよ。行列見えるだろ」
「くれーぷ?」
ルキアは小首を傾げた。
が、その目は行列の方向をしっかり見たまま、小さな鼻は甘い香りをしっかりと捉えている。
そしてルキアは確かな足取りで、行列へと向かって行った。
後には一人ぽつん、と一護だけが残される。






あぁちくしょう!
完全にこいつのペースじゃねぇか!
こいつの我儘に付き合って、俺のやりたいことなんて一つもできてねぇし、
そもそもこいつ、俺の意見なんて鼻っから聞く気もない。
明日もこいつに勉強を教えたら潰れちまうし、
俺には俺の予定があるってのをこいつ全く分かってねぇだろ!




クレープを片手に戻ったルキアを前に、一護は不機嫌が爆発した。
「おい!ルキ―」
「おいしいな、一護」
小さな口いっぱいにクレープを頬張って、ルキアは幸せそうに、にこりと笑った。
初めてで食べ方がよく分からないのか、生地から零れ落ちそうなバナナの塊を気にしている。口の端にはチョコレートが付いていて、まるで子どもみたいだ。潰さないように、でも落とさないようにクレープを握る手がたどたどしい。
それでも大きな眼はキラッキラに輝いていて、あぁ現世での好物がまた増えたな、というのがよく分かる。
ルキアはそっと上目で一護を見上げた。
「貴様もいるか?」
そして指先についた生クリームを、ぺろりと舐める。






ルキアがいつまで現世にいられるのか分からない。
いつまでこうして一緒に歩けるのか分からない。
でも。
それでも。




せめてそれまでの間、こいつが幸せでいられるなら。
こいつが笑っていられるなら。






俺は、『俺』を、消していく。










現世での一護は、ルキアの言いなりだなぁ、と思った、私なりのアンサー。

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