御題目次

じわりじわりと浸透していく





いつの間にかその男は私の目の前にいて、ゆらりと笑うとこう言った。
「ルキアちゃんは、どんな色が好きなん?」




途端に、ルキアの両目に宿った強い緊張の色。何を突然言い出すのだ、と思いながらも、どう答えるべきかを考えているところはこの娘の生来の生真面目さだろう。
「白、です」
「さすが氷雪系の使い手。君の刀、全部白いんやて?綺麗やろうなぁ」
にこりと笑ってギンが誉めそやしても、ルキアの瞳に張り付く嫌悪の色は微塵も揺るがない。ギンはその瞳を受け流すと、笑いを張り付かせたまま言葉を続ける。
「そう、白といえば」
次は何を言われるのだろう、とルキアに不安の色がよぎる。
「これから大黒屋に白玉食べに行くとこやけど、ルキアちゃんも一緒に行かへん?」
何を言っているのだこの男は、と言いたげに拒絶の色が濃くなった。間髪置かずに、冷たく硬い声が返ってくる。
「いえ、結構です」




予想通りの答えに、ギンは心の中でにやりと笑った。
焦ってはいけない。獲物を罠に追い込むように、一つ一つ。純白の身体と紫紺の目をもつこの兎は、とてつもなく利口で敏感で、ちらりとでも牙の気配がすれば一目散に目の前から去って行くのだ。
ギンはあえて一呼吸おくと、何でもないことのようにさらりと呟いた。
「残念やなぁ、今日だけ、苺が乗っかったのがあるんやけど」


ぴくり、とルキアの身体が反応する。その目に驚きの色が浮かんだかと思うと、頬がさっと紅潮した。
予想通りの反応、上々の好感触。しかしギンは笑いたくなる気持ちを抑え、心底残念そうな表情をしたままうなだれて見せた。焦ってはいけない。飛びついてはいけない。獲物が自ら足を踏み入れた時に、初めて罠は意味を成すのだ。
「ま、ボクは今から行くけど、もしルキアちゃんの気が変わったらついておいで」
気を取り直したように付け加えると、すたすたと小柄なルキアの脇を通り過ぎる。すれ違いざまにちらりと見たルキアの目には、躊躇いの色。その小さな頭の中では、本日限定の甘味とギンへの嫌悪が両天秤にかけられているのだろう。思わず口の端で笑ってしまったギンの顔を、ルキアは見てはいなかった。






ギンは、自分がルキアに嫌われているという自覚がある。
そして自分が如何に手を尽くそうとも、その嫌悪が好意に変わることがないだろうということも悲しいことだが自覚している。 それでも、ルキアの好物が白玉だと聞いては目ぼしい店の名前を頭に叩き込み、今回の限定品の噂を聞くなり真っ先に頭に浮かんだのは、赤い苺を前に嬉しそうに微笑むルキアの顔だったということは、自分もまだ希望を捨て去ってはいないということなのだろう。
大黒屋は有名な店で、限定品ともなると早々に予約をしなければありつけない店である。ルキアは知るはずもないが、今回の白玉の話も、隊長としての然るべき人脈と圧力とを利用してようやく手に入れたものなのだ。








―アホやなぁ。







ここ数日の自分を思い出すと、そう表現するしかない。計略は嫌いではないが、それにしてもこの必死さは自分で考えてみても滑稽だと言える。執務を放り出すのはいつものことだが、段取りをつけるために奔走し、策を練ることに忙しかったギンは、振り返ればここ数日は寝ても醒めてもルキアのことしか頭になかったのだ。



どうすればルキアに近づけるか。
どうすればルキアと過ごせるか。
そして望めるものならば、どうすれば渋面ではなく笑顔を見せてくれるのか―。







これまでも何かと理由をつけては、いや理由はなくともギンはルキアに近づいた。しかし察しのいい純白の兎はそこにある好意よりも、生来ギンの内に潜んでいる闇に気づいてしまうのか、その姿を見るなり震え、おののき、美しい白い肌を硬く強張らせるのだった。ギンの努力が功を奏したことは一度もなかった。






それでも嫌悪されようとも恐れられようとも、無視されるよりはずっとマシだ。まるで路傍の石のように、相手にもされず声も交わせないのは耐えられない。例え自分が与えるものが不快や恐怖だったとしても、ルキアが己を目の前にして揺れ動くということは、自分の存在がこの白く小さな身体に浸透しているという証である。自分の言葉一つ、動き一つでルキアが心を揺らし、自分の名前を聞いただけでルキアの心の中を己の姿が占めるのであれば、それが好意でも嫌悪でも構わなかった。




その間、ただ自分のことだけを考えていてほしい。
他の誰でもなく自分のことだけを。




じわりじわりと目に見えない触手をルキアの周囲に這わせてゆくのは、そのための布石に過ぎない。






―ほんま、アホやなぁ。




己の思考がねじくれているのか、それでも良いとでも思わない限り報われない切なさなのか。ギンは珍しく自分の中に浮かんだ感傷を振り切るように、背後の霊圧に集中した。
―さて、白玉が勝つか、苺でも勝てへんくらいボクのことを嫌い、か…










ゆっくりと数歩歩いたところで、躊躇いがちに足音がついてきた。ざり、と小さな足が地面を踏む音に、ギンの鼓動は高鳴る。


白い兎はこの手の中に。
罠の帳は下ろされた。


ギンはルキアの目には捉えられない速さでその背後に立つと、その細い両肩を抱いた。
「嬉しいなぁ、これからルキアちゃんと逢引や」
「あ…逢引などとっ!!」
ルキアの肩がびくりと大きく跳ね上がり、逃れようともがく。だが大きな手はルキアの身体を包み込み、決して離す意思はないことを無言で伝える。ギンを振り仰いだ大きな紫の瞳には、思わず触れたくなるような恥じらいの色。





だがそれだけでは満足できない。
長い渇望の末ようやく手に入れた獲物に、この指が、腕が、体中が、“もっと”と叫び声を上げる。
―もっとたくさんの色を、たくさんの表情を。もっともっと、ボクしか知らんような顔を。












さあこれから、その純白を何色で蝕もうか












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