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刑事モノ・番外編





帰宅すると、机の上に大きめの封筒が一つ、置いてあった。
自分宛の郵便物が届くと、家の者がこうして机の上に置いていてくれる。
封筒の裏に差出人の名前はない。
だが、ずっしりと重たくて堅いその中身が何であるかが分かって、ルキアは少しだけ、心が浮き立つのを覚えた。
ハサミで丁寧に封を切り、そっと中身を取り出すと、淡いブルーに銀色の文字が箔押しされた、1冊の本が出てきた。ちょうど読みたい、と思っていた本だ。
「お見通し、だな」
苦笑してぱらぱらとページをめくると、真新しい紙の匂いが立ち上る。




二・三ヶ月に一度、特に約束した訳ではないけれど、こうして本が送られてくる。小説、新書、ルポルタージュ。ジャンルはいろいろ違っても、送られてきた本がルキアを退屈させたことはない。
差出人が一度読んだ後のはずなのに、送られてくる本はいつも新品同様で、生活臭や汚れが全くない。それがこの差出人らしくて、ルキアはまた苦笑を重ねてしまう。
何気なく眺めていると、最後のページに、丁寧にたたまれた紙が挟んであった。
「?」
A4サイズのその紙を広げると、小さな文字が短く並んでいる。差出人が、入れたまま忘れてしまったのだろうか。だが文字を目で追うにつれて、ルキアの表情は硬くなった。
「これは…」






翌日は休みだった。
ルキアは朝食を済ませると、この辺りで一番大きな図書館へと向かった。
開いたばかりの図書館は人も少なく、空気がひんやりとしている。すこし湿った、埃まじりのこの匂いが、ルキアは好きだ。
躊躇うことなく2階へと階段を上ると、一番奥の、美術書や辞書の棚が並ぶ区画に入る。さりげなく、辺りに目を配りながら。
印象派の画集を手にとって、その大きな表紙をめくる。
最初に載っていたのは、モネの「睡蓮」の一つだった。淡いぼんやりとした色の塊は、心地いいようで、落ち着かなくもあり、ルキアはじっと目を凝らした。




本棚を挟んで向かい側に、人が立つ気配があった。本の隙間からその人物を確認して、ルキアは視線を画集に落としたまま小声で言った。
「本、受け取った。この間の本もおもしろかったぞ」
「それは良かった」
「私の好みなど、お見通しなのだな」
「朽木さんの趣味はわかりやすいよ」
その声が少しだけ笑いを含んでいるのを感じて、ルキアは目線を上げた。相手は下を向いたまま、乾いた音を立てて、手元の辞書をめくっている。
「ところで石田、あの文書のことだが」
「―言える範囲でよければ」
眼鏡を指先で押し上げながら、石田雨竜は固い声で答えた。




石田が本と一緒に送ってきたのは、検察庁の内部文書だった。
その文書には“証拠不十分による不起訴処分”と書かれていたのだ。
「不起訴処分、というのはどういうことだ?」
「そのままさ。起訴は無理だと判断したらしい」
「馬鹿な。あれだけ証拠がありながら…」








あの事件から、もう半年が経つ。
関わった容疑者はほとんど取り逃してしまったけれど、それでも警視庁としては、裁判に持ち込めるだけの証拠を集めたつもりだ。
その事件が、うやむやにされようとしている。
「まさか?」
「そのまさか、さ、朽木さん」
ちらりとこちらへ向けられた眼鏡の奥の目は、怒りを含んでいる。
「奴らの仲間が検察内部にもいる、ということだ。それも幹部にね」
息を飲んだルキアに畳みかけるように、石田は言葉を重ねる。
「なぜ不起訴なのか、もう一度上層部に問い詰めてみるつもりだけど―」
「―いや、石田。それは止めておたほうがいい」
「どうして?」
「検察に居られなくなるぞ」
石田は軽蔑するように、口の端を歪ませた。
「君のそんな言葉は、聞きたくなかったな」








二人は大学の法学部で同期だった。
気が合わない、という訳ではないのに、正義を信じて疑わないまっすぐな二人は、よく意見がぶつかった。意固地な二人のぶつかり合いは、同期の間では有名だった。
卒業後、ルキアは兄に誘われるように警察官になった。捜査一課で主任を任されて、もう一年が経つ。
石田雨竜は卒業後、司法試験を受けて検事になった。その手腕は、ルキアの耳にも届いている。
犯罪を捜査する警察官と、それを裁判に持ち込む検事と。組織同士の仲が悪いというわけではないが、仲がいいはずもない。
別にやましいことは何もないが、二人が今でも顔を合わせていることを知られたら、どんな詮索をされるか分からなかった。
何でもないことを、いちいちうるさく言われるのは気に食わない。特に、石田は。
夏の暑い日に、二人はたまたまこの図書館で顔を合わせ、一言二言、いま読んでいる本の話をした。それ以来、石田から本が届くようになり、それを合図のように、二人は図書館へ向かう。こうして本棚を挟んで話すのは、はじめに石田がそうやって話しかけてきたからだ。








「朽木さん」
視線を上げると、石田が真っ直ぐこちらを見ていた。さっきとは違う、少し、ためらうような光を感じて、ルキアは首を傾げて言葉を待った。
「これから時間、あるかな?」
「ある、が…」
「じゃあ、どこかでコーヒーでも飲もう」
ぱたんと辞書を閉じた石田は、すぐにでも立ち去りそうだ。ルキアは慌てて本の間から尋ねる。
「―っいいのか?」
石田は少しうつむき、こほん、と空咳をした。棚に並んだ本の背表紙を、指で撫でながら言う。
「もう、こそこそするのは嫌なんだ。僕はもう少し堂々と、君に会いたい」











刑事モノで石ルキを、は、本編を読んだ方からのリクエストでした!
お名前は忘れましたが、やっと書き上げました!すみません遅くなりました見て下さってますか…!(汗)
刑事モノの本編については、書庫の「風の啼く声を聴け」をご覧下さい。
通販しかやっていませんが、1話目のサンプルを載せています。

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