御題目次

イケ☆パラ第6話〜生物実験室〜





校舎の最上階、3階の隅にその部屋はあった。
“生物実験室”と書かれた部屋を開けると、薬品の匂いが鼻をつく。教卓にはPCのディスプレイと、青く光を放つ大きな機械が並んでいた。
その実験器具に埋もれるようにして、白衣の男が顕微鏡を覗いている。
ルキアは教卓の前に足を運んだ。
「1年A組の朽木です。生物の係になったので、明日の授業の準備について伺いに来ました」
「あぁ」
白衣の男―生物の教諭、阿近―は顕微鏡から顔も上げずに言った。
「教科書とノートを持ってこい。他はまだ要らない」
「わかりました」


立ち去ろうとして、ルキアは教卓の上に無造作に置かれた、分厚い紙の束に目をやった。
高校の生物室にはあまり似つかわしくない、英文がぎっしりと書かれている紙だ。
「…これは?」
阿近はまだ顕微鏡を覗いたまま、独り言のように答えた。
「編集委員の奴ら、再実験のデータを送れと言いやがった」
「編集委員?」
「何度やったって、結果は変わらないんだがな。用心深い連中だ」
「連中、とは?」
「ネイチャーの編集委員だ。査読が多くて面倒臭ぇ」
高校生のルキアだって知っている。
ネイチャーというのは、自然科学系の研究では最高峰とされる雑誌だ。
そこに書かれた英文をさっと目でなぞって、ルキアは驚きの声を上げた。
「…ヒトゲノム?操作法!?」


小さな声だったが、阿近の注意を引くには十分だった。
阿近は顕微鏡から目を離し、じろりとルキアを見た。ようやく、ルキアはこの教諭の顔を正面から見ることができた。
「お前、その英語が分かるのか」
「えぇ、まぁ…しばらくイギリスにいましたので」
なおもルキアが文面から目を離せずにいると、阿近はルキアの目の前に、1本の赤ペンを突きつけた。
「チェックしろ」
「え、あの」
「授業の手伝いは必要ない。その代わり今週いっぱい、放課後はこの論文を手伝え」
「はい!?」
「英語が分かる人間に、文法チェックをしてもらう規定があるんだ。英語の教諭に頼んでたんだが、お前のほうが話が早そうだ」
「しかし―」
阿近はPCの液晶画面に視線を移し、拒もうとするルキアの言葉を遮った。
「手伝えば、お前のその不自然さについては触れないでおいてやる」
「…何のことでしょうか」
身を固くしたルキアに、阿近は片手でPCのキーを打ちながら、にやりと口の端を釣り上げた。
「まぁ、生物学的性別と主体的性別の不一致について、ということにでもしておくか」
「!」
息を呑んだルキアをそのままに、阿近は何事もなかったかのように顕微鏡へ視線を戻す。
「4時に来い。掲載されるまで人には言うなよ」


覚悟をもって臨んだ高校生活だったが、思っていた以上にハードなことになりそうだ、とルキアは盛大にため息をついた。











御題目次


Copyright(c) 2017 酩酊の回廊 all rights reserved.