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夜来香






住宅街の夜道に人影はなかった。
ルキアは浦原と並んであるきながら、サンダルの音がぺたりぺたりとアスファルトに響くのを聞いていた。




義兄と幼馴染に連れ戻された後、再び現世へとやってきたルキアは、前回の滞在で溜めに溜め込んでいたツケを返しに、浦原商店へと来たのだった。
浦原の店を訪れた時は、なんだかんだとやっているうちに時間が経ってしまい、一護の家へ戻るのは決まって日が落ちてからだった。そして帰り際、ルキアは一人で帰れると言い張るのだが、
「レディを夜道に一人で帰すなんて、そんな野暮なことはしませんヨ」
と浦原も決して譲らず、結局いつも一護の家の近くまで送ってくれた。それは再び現世へ戻ってきた今回も、変わらなかった。





街灯の明かりは弱弱しく頼りなく、ぼんやりと二人を照らしては濃い影を作る。
元々、饒舌な二人ではない。今までも、学校であったことをルキアがぽつりぽつりと語るか、浦原が他愛もない話題を持ち出すかがせいぜいだった。お互い、思っていることをそう口に出す方ではない。互いに何かを考え込み、それを探ることもなく、ただ並んで歩いた。そうして今日も、言葉を交わすことなく二人は歩いていた。







薄暗い四つ角を真っ直ぐに進もうとした時、左手の角から一台の自転車が飛び出してきた。
「危ない」
慌てるでもなく静かに告げられたその言葉をルキアが聞いたと思った時には、既に片方の手首を引き寄せられ、すぐ目の前に浦原の胸があった。ふわり、とタバコの香りが鼻をくすぐる。




夜の静けさの中を、自転車のキィキィという音が遠ざかっていく。浦原の身体を前にしたまま、ルキアは静かにその音を聴いていた。目の前には覆いかぶさるように浦原の身体があり、壁を背中にしたルキアは言いようのない圧迫感に胸が苦しくなる。








浦原はしばらく、無言のままだった。握られた手首から、男の体温だけが伝わってくる。大きな手はルキアの細い手首を柔らかく、だがしっかりと握り、逃れられない覚悟をじんわりと告げていた。




男が、自分を見つめている気配だけがあった。




ルキアはなぜか、その目を見上げることはできなかった。
見上げたとしても、街灯を逆光にしている浦原の表情はよくは見えないのだが、
―この男は冷たい目をしている。
理由はわからないが、そういう確信があった。








自転車の音が聞こえなくなっても、浦原は手を離そうとしなかった。息の詰まるような沈黙に、息をつくことも躊躇う。足元で、鈴を転がすような虫の音がかすかに聞こえる。
「離せ、浦原」
「イヤです。久しぶりに朽木サンに会えたんですから」
そのまま浦原が壁に片手をつけば、小柄なルキアは簡単に囲われてしまった。
「離れろ、浦原」
「それも却下っス」



掴んだままの白い手首を持ち上げると、ゆっくりとその細い指に口付けする。暗闇の中、ルキアの青白い四肢は匂い立つような光を放ち、浦原は思わず目を細めた。
「うーん…イマイチっスね、この義骸は」
指先と手のひらで包み込むように、一つずつ、小さなパーツを確かめる。指の腹、一本一本に口付けし、その熱と感触を記憶の奥底に残るかつての感覚と照り合わせてゆく。
「アナタの肌は、もっとこう、ひたりと吸い付く感じっスよ」
無精髭がちくちくと指先に当たり、何か責められているようでルキアは居心地が悪い。
「きっと体温の低い人が造ったんスね。でもよくできている。



―アナタのことを、よく知っている」



浦原が帽子の陰からちらりとルキアの目を見ると、ルキアは慌てて視線を反らした。
「そ、そうか?」




―隠すことが下手な人だ。




じり、と男の胸のうちに黒い炎が湧き上がる。










ルキアが現世に再び姿を現した時から、確信していたことだった。その義骸は、一見しただけで極めて腕のいい技術者が造ったことが分かるものだった。思わず息を呑むような出来だった。
この義骸の作り手は、浦原の造った義骸を見たのだろう。そして詳細に調べつくしたのだろう。その上で持てる技術の限りを尽くしたのだろう。
新しい造り手が浦原の義骸を前に何を感じたかは、この義骸を見れば自ずと知れ、これは浦原に対する挑戦状とも言えた。
そんな2人の技術者の間に立ち、その思惑の錯綜に気付いていないのは当の本人だけで、鈍いくせに不器用に隠そうとする姿が浦原をどうしようもなく苛立たせる。










「いけないなァ、朽木サン」
ぐい、と握っていた腕を引き寄せると、自分のもう片方の腕を華奢な腰に回す。
「アタシってものがありながら」
「貴様が節操を語るのか」
「ヤだなぁ、朽木サン―」
貝殻のような耳元に唇を寄せ、身のうちにふつふつと湧き上がり暴れそうな炎と、そして僅かばかりの痛みを込めて囁く。
「アタシは、貴女には一途なんスよ」
「…たわけ」
ぷいと横を向いたその頬が、うっすらと朱に染まったのを浦原は見逃さない。








夜に紛れて、唇を重ねる。
唇から漏れる吐息が、夜の闇を濃く、甘く変えてゆく。
帳を下ろすように、辺りの景色はゆっくりとふたりから遠ざかる。
時折街灯に光る互いの目だけが、二人にとって目に映る全てだ。










この桜色の唇が、自分の味だけを知っていればいい。
この細い指が、自分の体温だけを覚えていればいい。
この小さな耳が、自分の声だけを留めていればいい。
この灰紫の瞳が、自分の姿だけを映していればいい。





恋い焦がれるというのは、なんとくらく哀しい感情だろう。












あらゆる技術を手に入れ、いろんな道具を作り出し、この頭脳と両手からは作り出せない物などないと思っていた。












だけど、胸の内のこの黒い炎を抑える方法だけが、どうしても分からない。













浦原も最近見てないなぁ…(泣)

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