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幻恋






底なしの暗闇は嫌いではない
己の闇に馴染むから
身に染む血霞を隠してくれるから


虚ろな暗闇は好きではない
貴女を思い出させるから
奈落で出逢う灯火のように貴女を求めてしまうから






ふと何かの気配を感じて、浦原はうっすらと目を覚ました。
もとより、そう深く眠れていたわけではない。
いつ頃からか、うとうととまどろむ程度の浅い眠りが当たり前になっていた。


静まり帰った家の中、聞こえるのは時計が時を刻む音だけ。
時刻は夜半過ぎか。
己の指先がかろうじて見分けられるほどの薄闇が、静かに目の前に広がる。



ほの暗い闇の中、横になった目線の先に、真っ白な足袋が浮かび上がる。
深淵から抜け出るように現われたその影は、古びた畳の上を音もなく近づく。小さな小さな、見慣れた足。
寝転んだまま視線を移し、その顔を見上げる。

「忘れ物っスか?」
確か、尸魂界に戻ったはずだ。


だがそれが何だと言うのだろう。貴女が此処にいるのだ。


「―朽木サン」






ゆっくりと片腕を布団から出し、白く浮かび上がる顔に添える。
両の手のうちに収まってしまうほどの、華奢な顔。
しかし何よりも手に入れることが難しいもの。



「アナタのことを考えてました」


夜は人を饒舌にさせる。
嘘を紡ぐことに慣れた口から、思わず零れた真実に心がおびえる。

「笑っちゃうでしょ」
自嘲する、この諧謔が悪い癖。しかし亜麻色の目は決して笑っておらず、きっとこの人なら分かってくれるだろう…と頭の隅で甘える。

「いいや」
ルキアの顔がゆっくりと近づき、浦原の額に静かな静かな口付けを落とした。

「夢みたいっスね…アナタが口付けをくれるなんて」

両腕をその細い首筋にまわす。まるで光から零れ落ちたような、深い輝きを放つ瞳を正面から見つめる。
「アタシはアナタに嫌われてるんだと思ってましたよ」

そのまま腕に力を込め、ゆっくりと引き寄せる。小さな体は抵抗することなく、容易く腕の中に囚われた。


嫌悪されても仕方のない血生臭い過去。唾棄されても弁明できない非道の現在。それらを抱えた己の身を思うと、こうしてルキアに触れる資格など自分にないことは十分に分かっている。




しかし。
それでも。

この人は、自分に身を委ねると言ってくれるのだろうか。



「期待してもいいんですか?アタシは愚かだから―」
額に、頬に、柔らかな口付けを落とす。


「嘘でもアナタにすがってしまう」









深い静寂しじまに衣擦れの音
忘れえぬ温もり
刻んだ言の葉



懐かしいその身体に触れていると、その温かさに安堵する自分がいた。こうして温もりに甘えている間は、己の奈落を忘れる事ができる。溢れる想いのままに強く抱き締めた身体は、痛々しいほど細身だった。


「朽木サン」


耳元で、ゆっくりと告げる。
「アナタのことを、考えてました」



それは事実。“考えていた”という、ただの事実。
だが、低く囁く声に全てを乗せよう。
考えていたことの全てを、渦巻く想いの全てを、すがるしかない己の全てを―。

ルキアの肩が、ぴくりと震える。大きな瞳が、悲しい色で浦原を見上げた。何故かその目を見つめ返すことができず、思わず華奢な肩に顔をうずめる。そのまま小さな耳朶を噛むと、甘く途切れそうなため息が漏れた。





鮮やかな記憶
目の前に浮かぶ日々

いつ頃からか、一人寝床につくとそれらが眼について離れなくなった。
眼を閉じても開けていても、目の前には小柄な死神の姿が散らついた。ならば、と、もはや無理に眠ることも諦めた。





絡めた指を、きつく握り締める。
夜が明ければ、またアナタのいない世界が待っている。
ならばせめて今だけ、こうして繋がっていることだけでも許されないだろうか。
不相応な感傷だと、アナタは嗤うだろうか。





孤独は欠落から生まれる
欠落は痛みに似る
そうして痛みに呻きながら、血を流しつつ生きるしかない修羅を選んだのは他でもない己自身。


夢や幻でも構わない
貴女が此処にいてくれるのならば―









もうすぐ夜が明ける。






アナタのいない、灰色の世界が待っている。








「君や来し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか」




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