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ぼくらのハカリゴト





虚圏に行かせてほしい、と告げるルキアの瞳を、浦原はにこりと笑って見つめ返した。
「もちろん、お安い御用っスよ」
大きな桔梗色の瞳は、いつにも増して揺るぎなかった。
強く、強くなったなと思った。

虚圏への行き方、予想される虚圏の様子を伝え、織姫救出に当たっての心構えを言い渡す。ぴりぴりと走る緊張感は小気味よく、やはり自分は死神だったのだと実感する。
阿散井恋次がふいと席を外すと、残された二人の間には静かな沈黙が流れた。じっとりと湿った空気が重くのしかかる。もうすぐ雨が降り出すのだろう。先に口を開いたのはルキアの方だった。
「…止めないのだな」
「アタシの朽木サンならそうすると思いました」
へらりと笑って返した答えは、いつものようにするりと流される。
「無謀だとは思わんのか」
「無謀だというのなら、これまでの全てが無謀でしたよ」

そう、全てが無謀だった。
崩玉を作ったこと、壊す術なく手元に置いていたこと、その存在を知られたこと、それを一人の死神の義骸に埋めたこと、彼女の救出を一人の少年に託したこと…

謝罪の言葉は尽きない。だが、いったん言葉にすると止めることができなくなりそうで、思う言葉の一つも伝えられてはいなかった。
言葉にしてはいけないことまで、この軽薄な口から漏れそうになる。
ぎりぎりで保ってきたこの距離の全てを壊してしまう、そんな一言を漏らしそうになる。

ルキアの瞳が、こちらをじっと見つめている。膝ですっと近付き、その小さな顔に手を添える。
―今なら、言えるかもしれない。
「朽木サン、アタシは―」
「言うな、浦原」
静かに、しかしはっきりと言葉は断たれた。
いつもは気にならない時計の秒針の音が、いやに耳に障る。遠くで、時期はずれの雷が地鳴りのように響いた。
「もう…いいのだ、浦原。もう」
伏せることなく真っ直ぐに向けられた視線を見下ろす。
「どうせ、貴様の言葉はいつも本気ではないのだろう?」


そう言いながらも、アナタの瞳はなぜアタシにすがってくるのか。
握り締めた小さな拳は、何をこらえるための力なのか。
薄く開いた唇は、何を告げようとして躊躇っているのか。
どうして、アナタはそんなにも泣きそうな顔をしているのか―


ドスドスと派手な足音を立てて、阿散井恋次が戻ってきた。ルキアがふっと身を翻し、立ち上がる。
「ルキア、準備できたか?」
「うむ。行くぞ」


彼女を見送るのはこれで何度目だろうか。
引き止めたい、と思うのは遅すぎる身勝手だろうか。
触れていた手は、中にむなしく残される。


結局、彼女は一度も振り返ることなく虚圏へと旅立った。


「―さて、どうしましょ」
重く降り出した曇天を眺めながら、縁側でぷかりとキセルを吹かす。彼女が戻って来ない、ということは無事に辿り着けたのだろう。ゆっくりと立ち上る紫煙が、靄のように視界にまとわりついた。
ふと気づくと、廊下の隅に雨が立っていた。
「喜助さん…」
「何すか?雨」
「喜助さん…泣かないで…」
その言葉に、キセルを吹かしていた手を思わず止める。

これは、周到に組み立てた計画のたった一つの手続きに過ぎない。
なのに中空を見つめながら、いったい自分はどんな顔をしていたのだろう。あの人と同じ顔、だろうか。
「泣いてなんかないっスよ」
くしゃくしゃと雨の小さな頭を撫でる。


泣いてなんかいない。
泣くことなど許されない。
だってあの人は、決して涙を見せないのだから。
決して言葉にしてくれないのだから。
だから―
「アタシもって決めたんです」

誰に言うともなく呟く。
言葉にしない。伝えてはいけない。

それは、二人の間の密やかな決め事。
息が詰まるほどの、秘めた、とてもとても大切な企て。


「やっぱ無謀っスかね、朽木サン?」


それが、何より無謀であるとしても。



”言葉にできない”ではなく”言葉にしない”想いを書こうとしたのですが…力及ばず…

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