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白昼夢





―夢を、見た。




布団の上に身体を起こし、浮竹は深く、長く溜息をついた。
―夢で良かった…
外ではまだ雨が降っているのだろう。
時折、ぽたりぽたりと雨だれが庭石を打つ音がする。
昨日から降り続いている柔らかな雨は、まるで繭のように、辺りの音を包み込んでいた。




その雨だれの音に混じって、雨乾堂に続く廊下を歩いてくる足音が聞こえる。
霊圧を探るまでもない。古馴染みの京楽春水が、しばらく臥せっている浮竹を見舞いに来たのだ。




「おはよう」
声をかけて、障子戸がするりと開けられる。大柄な彼と共に、雨の匂いが部屋に入り込む。
布団の傍らに胡坐をかきながら、京楽は苦笑いを浮かべた。
「なぁんだか、嬉しんだか悲しいんだか分からない顔をしてるねぇ」
「からかうなよ、京楽」
聡明な彼は、きっと何もかもお見通しなのだろう。
けれど浮竹は、半ば意固地になって、曖昧に答えた。
「自分でも、よく分からないんだ」
がしがしと乱暴に頭を掻く浮竹を、京楽は楽しそうに見遣った。
「寝起きの男がそんな顔をしている時は、たいてい、いけない夢を見ちゃった時なんだけどねぇ」
ぎくりとして動きが止まった浮竹を見て、京楽は「ははは」と柔らかく笑った。
「いいんじゃないの?君もまだまだ元気ってことさ」
「からかうなよ…」
「いやいや本当、元気そうで安心したよ。君んとこの―」
言いかけて、京楽は視線を遠くに向けた。
「おや」
同じ方向に気を向けて、浮竹は自分の顔がこわばるのが分かった。




何も知らぬまま、小さな足音は近づいてきて、部屋の前で止まる。
「失礼致します」
病弱な上司がまだ寝ていると思ったのだろう、静かな声で言って、障子がそっと開けられた。
そして中の様子を見て、ルキアは慌てた。
「っこれは、京楽隊長!失礼致しました、また後程…」
慌てて障子を閉めようとするルキアを片手で制して、京楽は腰を上げた。
「いいよ、ルキアちゃん。ちょうどお暇しようと思っていたところだから」
障子の外側に正座したままのルキアは、恐縮して、身体を固くしている。
その横を通りながら、京楽はルキアの肩に、ぽん、と手を置いた。
「ルキアちゃん、この男をねぎらってやっておくれよ」
「…ねぎらう、ですか?」
そう、と頷いて、京楽はちらりと浮竹を見た。
「ずっと、叶わない恋をしているんだってさ」
「京楽!」
思わず大きな声を出した浮竹に、肩をすくめて見せて、京楽は雨音に紛れるように静かに去った。




ルキアはしばらくきょとんとしていたが、部屋に入って障子を閉めると、布団の枕元に書類の束を置いた。
「昨日の、隊務報告書です」
「あ、…ああ。ありがとう」




少し、気まずい沈黙が流れた。ぽた、ぽた、という雨音が、浮竹を急き立てる。
「あのー、あれだ、朽木」
軽く咳払いをして、浮竹はルキアの目を見た。
「京楽の言ったことは気にしないでくれ」
「と、言われましても…」
ルキアの真面目な性格を思いやって、浮竹は首を振った。
「京楽の言ったことは、別に隊長命令ではないからな」
「いえ、そうではなくて…」
ルキアは少し困惑した顔で、首を傾げた。
「恋を、していらっしゃるのですか?」
ああ、そっちを気にしているのか、と浮竹は思い、どう答えるべきかと頭を巡らす。
「いや、恋というか何というか…。あいつの言ったことは―」
もごもご、と歯切れの悪い言葉が、雨粒の音にかき消される。
そうしてまた少し、沈黙が訪れた。




さら、と畳が擦れる音がして浮竹が顔を上げると、布団の端にルキアがにじり寄っていた。
思わぬ近い距離でルキアの視線とぶつかってしまい、浮竹は息を飲む。
音もなく伸びたルキアの右手が、浮竹の真っ白な髪に触れ、戯れるように指先に絡める。そしてついばむように、その白い毛先を紅い唇に寄せた。
「く、朽木…っ」
ルキアは構わず、浮竹の毛先にゆっくりと唇を押し当てる。
突然沸き起こった濃密な気配に、浮竹は慌てて後ずさった。
「俺はお前の上司だ、ここは雨乾堂だし、それに…」
ルキアは数回、瞬きをしてから、くすくすと笑った。
「浮竹隊長」
小動物のようなくりくりとした瞳が、間近で浮竹を覗き込む。
「いけない人と、いけない場所で、いけないことをするのが、恋でしょう」




―嗚呼。




ぐらり、と世界が揺れる。
絡めたままの白髪を軽く引き、身体を寄せると、ルキアは浮竹の耳元で囁いた。
「もっとしても良いのですけど…如何しましょうか」
温かな息が、耳朶に触れる。
喉元にせり上がるものをごくりと飲み込んで、浮竹は固く目をつむる。
心臓が、どくどくと波打つ。
身体の奥に、大きな熱が生まれるのを感じる。
浮竹は静かに目を開き、紫紺の瞳を見つめ、そしてゆっくりと両手を伸ばした。




―さあ、夢の続きを。










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