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いただきます。





さくさくと書類を片付けるルキアを眺めながら、修兵は喋り続ける。
「なるほど」「ほう」などと適当な相槌を、それでも律儀に返すルキア相手にしているのは楽しかった。壁に軽く寄りかかり、毛並みの良い子猫のような姿を見ていると、言葉がすらすらとでてきてしまう。
もっともルキアのほうは、あまり相手にしてくれてはいないのだけど。




ここは十三番隊の書庫。
部屋にはルキアしかおらず、回覧の書類を持ってきた修兵は、書類を手渡すと、そのまま書庫に居座ってしまった。
ルキアが副隊長に昇格してから、こうして顔を合わせることが随分増えた。それを修兵自身、少し待ち望んでもいる。
とは言っても、今の修兵は別に、仕事上の大切な話をしているわけではない。
例えば、最近仲良くなった、他の隊の女性のこと。修兵のファンだという女性死神から言われた言葉、などなど。
早い話が、オンナ絡みの自慢話だ。






ふと言葉を区切って、修兵は首を傾げた。
「お前、こんな話聞いてても何ともないのか?」
ルキアはようやく書類から顔を上げると、にこりともせずに言った。
「不味い料理も、出され続ければ慣れますので」
「まず…」
絶句した修兵は、すぐににやりと口角を上げた。
「言ってくれたな」
「何か間違いでも?」
視線を再び書類に戻すと、白い指先が、さらさらと紙をめくる。
書棚から冊子を取り出すと、手元の書類を数枚、挟む。そしてまた、別の冊子を探し出して、書類を仕舞う。
ただそれだけの動作なのに、匂い立つような、そこだけ風が吹いているような。
ふと目を奪われていることに気づき、修兵は慌てて目を逸らした。



取り付く島もないルキアの態度に降参して、修兵は頭をがしがしと掻く。
「期待したんだけどな」
「期待、ですか?」
「嫉妬とかさ」
「どうして私が、不味い料理を妬む必要があるのです?」
そう言ってルキアは、まるで子どものように、きょとん、と首を傾ける。
髪が短くなったせいで、真っ白な首筋までよく見えるようになった。不ぞろいな髪先が、さらりと頬にかかる。



そんなあどけない仕草をしながら、言外に言っているのだ。
―自分は不味くない、と。






「―はっ」
息だけで笑うと、修兵はぐいとルキアに近づいた。
「お前今晩、俺のところに来ないか?」
ルキアは眉間に皴をよせると、あからさまに不快そうな視線を寄こした。
「…もっと繊細な誘い方はないのですか」
「遠まわしすぎる幼馴染よりいいだろ?」
しばらくの間があって、二人は目を合わせると思わず噴き出した。
「確かに」
ルキアの軽やかな笑い声が部屋に響く。赤髪の男の面影が、互いの間にちらつく。
―こんな女の側にずっといたら、そりゃあ惚れないほうがおかしいな。
などと思いながら、それでも悪びれせず、修兵はルキアの顔を覗き込む。
「で?返事は?」
「生憎、今日は先約がありますので」
「じゃぁ明日」
「明日から虚討伐に出るのです」
「じゃぁ戻ってから」
「戻ってから考えることにします」
「考える、は無しだ。実は俺、そんなに気が長い方じゃない」
少しだけ声を低くし、語尾を強める。すると案の定、ルキアはびくりと肩を震わせた。



硬い表情のまま、ルキアが修兵のほうに向き直る。口を僅かに開きかけ、身じろぎをする。
色よい返事が聞けるだろう―
と修兵が期待した次の瞬間、ルキアの小さな体が目の前にあった。



間合いを詰められた、と気づいた時には、綺麗なつむじが既に胸元のすぐそばに来ている。
何をする、と思う間もなく出し抜けに、修兵の剥き出しの二の腕に、生暖かいものが柔らかく触れた。
はっと見下ろすと、心臓の音が聞こえるほど間近に、ルキアの頭がある。
そして修兵の二の腕の内側に、ルキアの小さな桜色の唇が、そっと触れていた。
僅かに閉じられた両目、それを縁取る長い睫に修兵が見惚れかけたとき―
花の蜜でも吸うようにルキアは、ちゅ、と音を立てて唇を放した。
ぞわり、とむずがゆい慄きが全身を巡る。かっと体中が熱くなり、縛道をかけられたように、硬直したまま動けない。
そして次の瞬間、ルキアの体は何事もなかったかのように、修兵から離れた。






言葉をなくした九番隊副隊長の横を通りすぎ、ルキアは書類を手に持ったまま、戸口に立つ。そして振り返ると、慇懃に一礼し、にっこりと笑って
「せいぜい、お腹を壊されませぬよう」
そう言い残すと、やはり爽やかな風のように、ついっと部屋を出て行った。




後には、力なくたたずむ修兵だけが残される。
「てめぇが食われてどうすんだよ…」
疼く二の腕をさすりながら、呟くのが精一杯だ。




とんでもねぇ女じゃねぇか、と誰にともなく言い捨てて、修兵はその場にへたり込んだ。
ルキアの性格から考えるに、何か深い意味だとか駆け引きだとか、そんなことを思っての行動ではないだろう。もちろん、修兵の誘いに対する「是」の答えでもない。
こんなことをされて、男がどう感じるのか。どう動くのか。
「それを教えてやるのも、先輩の務めだよなぁ?」
意地の悪い笑みを浮かべて、修兵は勢いよく立ち上がる。朽木が昇格して、本当に楽しくなったなと思いながら、書庫を後にする。








数日後、やっぱりとんでもねぇ女だ、と再び呟く羽目になるとは知らずに―










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