面倒なお姫様の話
「…ぅあ…」
窓の隙間から差し込む日差しが目に痛い。
かすれた呻き声を漏らすと、修兵は薄っぺらい布団の中に再び潜り込んだ。
昨夜は―といっても、時刻としては今朝だったが―松本乱菊に誘われ、数人でしこたま呑んだのだった。
何本目かの一升瓶を空にしたところまでは覚えている。しかし、隊舎のこの自分の部屋まで戻ってきた記憶がない。
「頭…いてぇ…」
ガンガンと頭が疼く。酒には強い自信があるが、さすがに昨日は飲みすぎた。幸い今日は非番で、このまま寝て過ごせる。
まさぐるように布団をかき合わせた指が、何かふわりと柔らかいものに触れた。無意識に腕を伸ばし、その“何か”を腕の中に囲う。
―あったけぇ…
それはとても小さく、屈強な修兵の体の内にすっぽりと収まった。だがぬくぬくとした柔らかさがとても心地よく、体中が安堵する。
―猫、かな…
その温かさに誘われるように、ゆるゆるとまどろみに落ちてゆく。しかし、頭の奥で少し醒め始めた思考が、問いかけた。
(猫にしちゃデカくないか?)
「!!」
細い目を見開くと、そこには
「――っっ!!」
己の腕の中で身を縮ませ、朽木ルキアが眠っていた。
―待て待て待て待てっ!
酔いは瞬時に吹き飛んだ。昨夜の記憶を引っ張り出す。
適当にみんなが酔い潰れた頃に店を出た。確か一人だった。飲み屋街を抜けて、それから…それから?水の音を聞いた気がする。川…どこかの川原を通ったか??
「駄目だ、思い出せねぇ」
どういう経緯があったかは分からないが、朽木ルキアに手を出したとなれば、この身がどうなるか分かったものではない。
席官たちは雑魚だから無視だ。しかしおそらく真っ先に朽木隊長の千本桜に切り刻まれるだろう。浮竹隊長は血を吐きながら双魚理で向かってくるに違いない。恋次は多分相打ちで済むから良しとして、最近は阿近の野郎も執着していると聞く。ということは何らかの毒を盛られるのは必至だ。ルキアはやちると仲がいい…ということは、更木隊長も危険か??いったい俺は何度死ねばいいんだ???
いやいやいや、まだ手を出したとは決まっていない。そっと布団をめくり、ルキアの様子を見る。
―服は着てるな、襟も乱れてない。泣いた様子もない。
「よし!」
最低限のことを確認した後は、ルキアの霊圧が探られる前に朽木家の屋敷か十三番隊隊舎に戻さなくてはならない。この隊舎の壁は殺気石でできているが、隊長格には恐らく通用しないだろう。日差しの様子からして、日はだいぶ高くなっている。見つかるのも時間の問題だ。
すると突然、くぐもった声が布団の中から聞こえた。
「何が良いのです?」
至近距離の声に、心臓が跳ね上がる。ルキアがもぞもぞと動きながら、修兵を見上げた。
「えぇっと…お前、なんで此処にいるんだ?」
我ながら間抜けな質問だ。一つ布団の中で寝ていながら、さすがにそれは無いだろう?
「夜勤明けの帰り道に、川辺でぐったりとしているところを見つけたのです。それで此処まで送って差し上げたのを…覚えてらっしゃらないのですか?」
そうだ、思い出した。
川原を通っていたら風が気持ちよかったので、酔い覚ましにと寝転がって…どうやらそのまま寝てしまったらしい。
「帰ろうとしたのに、檜佐木先輩が離して下さらなかったのですよ」
そう言って眠そうに瞼をこする白い手首に、くっきりと手形の痣ができている。覚えてはいないが恐らく、無理やりここまで引っ張ってきたのだろう。
「悪りぃ」
そっと手を取り、痣に口付ける。そのまま、回復の鬼道で消してしまう。
「その割には、まだ離して下さらないのですね」
「まだ酔ってるんだろうよ」
修兵のもう片方の腕は、ルキアの体をしっかりと抱きしめたままだ。鍛え上げたたくましい腕の中でルキアが逃れられるはずもないし、修兵に放す気は少しもない。
「あの、私はそろそろ帰らねば…」
「嫌だ」
「檜佐木殿」
「帰るな」
「まるで駄々っ子ではありませ…んか…」
そう言うと夜勤明けのルキアはよほど眠たかったのだろう、そのまま静かに眠りに落ちた。
これまでにない距離で寝顔を見つめながら、甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込む。すやすやと眠る姿は幼子のようでもあり、しかし修兵を落ち着かなくさせる色気もある。
唇を奪ってしまおうと思えば、簡単にできる。欲望のままに組み伏せるのも、わけないことだろう。普段は警戒の強いルキアだが、その白い肌に自分の痕を付けることくらい、今ならば造作ない。
だが、静かに寝息をたてる姿を目の当たりにして、それはひどく躊躇われた。
この安らかさを壊すことは、いくら女の扱いに慣れた修兵でもできない。
眺めるだけ、という至福があることを修兵は初めて知った。いま自分の両腕の中にある存在が嬉しかった。
―記憶をなくすくらい酔っ払うのも、たまには悪くない、な…
再びうとうととまどろんでいると、ドンドン、と慌しく戸を叩く音がする。
「先輩、檜佐木先輩」
「ん…おう。何だ」
「隊舎の入り口に、市丸隊長がいらっしゃっています。先輩に大事な用があるとかで…あっ、市丸隊長っ!困ります、勝手に上がられてはっ!!此処は檜佐木副隊長の私室です!!開けてはいけません、市丸隊長っっ!!」
―あいつもかっ!!!
九番隊副隊長檜佐木修兵はその時、本日何度目かの血の気が引く音を聞いた。
怪しげな笑顔で廊下を歩いてくるギンが書きたかったのです。ギンルキも好き。(ぽそり)
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