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Happy Birthday to Snow White





「おいルキア!起きたか?」
すぱーんと勢いよく扉が開くと、大声と共に現われたのは赤毛の幼馴染だった。ずかずかと部屋に入ってくると、頭上から呆れたような声をかける。
「まーだ寝てんのかよ」
「む…」
「もうすぐ当直終わりだろ?さっさと起きろよ」
「う…ん」
ルキアは布団の中でもぞもぞと体を動かしながら、懸命に目をこすった。障子に射す光が眩しい。朝が来ているらしい。




今日は当直だ。
昨日の夕方から隊舎に泊まり込み、何か急な任務が入れば起こされることになっていた。今の時間まで呼び出しがなかったということは、何も異常はなかったのだろう。
そんな日の当直は、のんびりとしたものだ。ルキアは布団の中で、ゆっくりと手足を伸ばした。もう一人の当直も、隣の部屋でまだ寝ているはずだ。
壁の時計は当直明けまであと10分の時間を指している。ぎりぎりまで寝ていようと思ったのに、この無遠慮な男に起こされてしまった。
なんだか無性に腹が立つ。


当の幼馴染はそんなことは全く気付かず、しゃがみ込むとルキアの顔を覗き込んだ。
「相変わらず寝起き弱ぇなぁ。急に任務入ったらどうすんだよ」
「その時は、ちゃんと…起きる…」
恋次はその言葉にほんの少しの苦笑を浮かべると、布団をぽんぽんと叩いて急かした。
「ほらほら起きろよ」



ルキアはしぶしぶ体を起こした。無理やり起こされて、むっつりと頬を膨らましている。まだ焦点の定まらないままのぼんやりとした眼が、恋次をおぼつかなく睨んだ。
「何なのだ…いきなり…」
「見せたいものがあるんだよ」
「…痩せた干物がある?」
「…なんでそうなるんだよ」
どうやら頭の方はまだ眠っているらしい。恋次は寝ぐせのついた黒髪をわしゃわしゃと撫でると、腰を上げた。
「廊下で待ってるからな、二度寝すんなよ」
「…ニノケプンナョ?」
「…何語だよてめぇ」







「まったく!いったい何なのだ!」
ようやく頭の醒めたルキアが、憤然として宿直室から出てきた。恋次はその声が聞こえているのかいないのか、何かを探すように遠くに目をやる。
と同時に、定時を知らせる鐘が鳴った。
「よっしゃ、当直終わりだな。なら行くか」
「どこに行くのだ?」
恋次は口の端で笑いながら、頭に巻いていたバンダナを外す。と、そのバンダナをルキアの頭に無理やり巻きつけた。
「なっ…!恋次!貴様何をする!!」
すっぽりと目隠しをされて、何が何だか分からない。ふわりと体の浮く感覚がルキアを襲った。両足をじたばたさせるが、呆気なく宙を切るだけだ。どうやら抱えあげられたらしい。
恋次の声が頭のすぐ上から聞こえた。
「ちゃんとつかまってろよ」
「う…わぁぁぁぁ!」
猛烈な速さで周囲の物が去ってゆく感覚に、ルキアは咄嗟に恋次の死覇装にしがみついた。
この男、瞬歩を使ってまで何をするつもりなのだ!?







「外していいぜ」
2・3分ほど経った頃だろうか。揺れが収まり、両足がようやく地面を捉えたかと思うと、再び頭上から声が聞こえた。
バンダナを外しながら、嫌味の一言も言ってやろうと口を開きかけたルキアはしかし、バンダナを手にしたまま、紫紺の瞳を丸くし、思わず歓声を上げた。
「う…わぁ…!」






目の前に広がっていたのは、まばゆく光る一面の銀世界だった。
丘の中腹に立ち、どこまでも波打つように続くなだらかな雪原を見下ろす。朝日を受けて反射する白銀が目の奥にじんと染みて、ルキアは両目をぎゅっとつむった。
再びゆっくりと目を開いても、やはり眼下には真新しい光の世界が広がる。
小さな足跡が雪原を横切るように続いているのは、きっと明け方に兎でも通ったのだろう。ぽつんと立つ枯れた木立が、青い影を長く伸ばしていた。


ルキアは恋次を見上げると、言った。
「雪だ」
恋次は答えるように笑うと、ルキアの手からバンダナを受け取り、自分の頭に巻きなおした。
「夜のうちに積もったんだよ。てめぇに見せたくってな」
互いの吐く息が、綿雲のように白い。
時折、木に積もった雪がどさりと落ちる音が聞こえるが、それ以外は人の声はもちろん、鳥の声もない。きんと冷え切った空気はそれでも、朝の明るさに満ちていた。
明るくて、心地のいい静けさだった。



きらきらと光る景色を見渡して、ルキアはぽつりと呟いた。
「戌吊にいた頃、私は雪が怖くて仕方なかったのだ」








戌吊にも冬は訪れた。
貴賤の区別なく、年齢など関係なく、雪は誰の上にも降り積もる。
何もかもを白く覆い隠してしまう雪は、しかし、生きる術に乏しい子どもにとっては死活問題だった。ことに、生き延びることが難しい戌吊では。
ただでさえ手に入りにくい食べ物は、全く見つからなくなった。木の実や農作物は雪の下に隠れる。食べ物を分け与えてくれるような大人はいなかった。そうなれば、盗みを働くしかなかった。
暖を取るにも、狭い小屋の中で小さな火を囲んで、寄り添って寒さをしのぐしかなかった。布団なんてなかった。ゴザとボロ布、それが全てだった。




夜、仲間たちとぴったりと寄り添って眠るとき、ルキアは不安でならなかった。
明日の朝、仲間の誰かが冷たくなっていたらどうしよう、と。



いつも、恋次が隣で手をつないで寝てくれた。
だがルキアには怖くてならなかった。
明日の朝目覚めたとき、自分より少しだけ大きなこの手が、冷たくなっていたらどうしよう、と。
呼びかけても隣から返事が返ってこなくなったらどうしよう、と。
そうして次の朝、赤毛の少年が隣で大口を開けて寝ているのを見て、ほっと胸をなでおろすのだ。




「おかしいだろう。あの中では私が一番体が小さかったのに、私はいつもみんなのことが心配でならなかった」
恋次は真っ白な息を吐きながら、浅く笑う。
「てめぇは変わらねぇよな、そういうところ」
小さな頭をくしゃりと撫でると、見慣れた顔は恋次の視界の下で申し訳なさそうに笑う。
何度この表情を見ただろう。
これから先、何度、この表情を見るのだろう。




「誕生日おめでとう」
ルキアは目の前の景色をゆっくりと眺めて、隣の幼馴染を見上げた。
「ありがとう、恋次」








伝わっただろうか。
伝えられただろうか。
今日だけのことではない。ずっとずっと長い間の、ありがとう、が。








「おめでとうついでに、私に高級あんみつを奢るというのはどうだ?」
「…給金が出るまであと何日あると思ってんだよ」
ルキアは恋次を見上げると、にやりと意地の悪い笑顔を浮かべた。
「追加給金が出たんだろう?」
「朽木隊長に聞いたのか」
「うむ」
大きくなった幼馴染は観念したように眉根を下げ、それでも盛大に胸を張った。
「しゃぁねぇな。俺の誕生日のとき、覚えとけよ」
「最近、物忘れが激しくてな…」
「てめぇ」
軽く小突こうとした手を、小さな体はするりとかわす。
「帰るぞ、恋次!」
勢いよく走り出した足元で、新雪がぎゅっと音を立てる。










新しい雪。
新しい足跡。
新しい1年と、君に、心から、ありがとう。











オチも何もありませんが…恋ルキは、こんなほのぼのがいいんじゃないかとか…(ごにょごにょ)


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