文章目次

白くて甘くて柔らかいもの





唐突な、誘いだった。
「ルキアちゃん、白玉食べに行こ」
瞬歩を使って現れたのだろう。いきなり目の前に現れた市丸ギンは、いつものように正体の掴めない笑みを浮かべると、そう言った。
「いえ、私は―」
困った表情を浮かべたルキアの至近距離で、にんまりと笑ったまま、ギンが顔を覗き込む。
「ん?何?」
あからさまな威圧だ。はじめから、ルキアの都合など聞く気はないのだ。




そうして無理やり連れて行かれたのは、風情のある小さな甘味屋だった。
店の一番奥の座卓に座り、ギンが
「抹茶の」
と注文するのを固くなったまま聞いていると、すぐに目の前にガラスの器が運ばれてきた。
けれど抹茶白玉を食べるルキアの前で、当のギンは何も注文せず、肘をついたままにこにこと笑っている。
わざわざ連れてきたくらいだから、ここの白玉は美味しいのだろう。
けれど、じっと見られる中で自分一人だけ食べるのは居心地が悪いし、しかも相手が他隊の隊長とあっては、緊張でせっかくの味もよく分からない。
さらに言うならば、目の前にいる相手はよりにもよって、市丸ギンなのだ。
数口食べた後、ルキアはおそるおそる尋ねた。
「…市丸隊長もいかがですか?」
「ええよ、ルキアちゃんお食べ」
「ですが…」
「僕、あんまりモノ食べんのよ」
「どうしてですか?」
ギンはふっと窓の外に視線を移すと、ぽつりと言った。

「感覚が鈍る」

ええ天気やな、とでも言うような自然さだった。
ギンは遠くを見たまま、至極当然のようにさらりと続ける。
「食べてる間はその分、気が殺がれる。満腹になったら、頭が回らんし。せやから、腹減ってるくらいが一番ええんよ」
完全に手が止まってしまったルキアに向き直ると、ギンはさらりと笑った。
「ま、昔っからひもじかったし、もう慣れてもうたわ」




ああ、とルキアは心の中で呻いた。
飢えた獣は、いつ何時でも獲物を捕らえられるよう、その牙を磨いているのだ。
顔には笑みを絶やさないまま、今、この瞬間も。




茫然となるルキアの視線の先で、するり、とギンが笑顔を脱いだ。細められた瞼の間から、水色の瞳が冷たく光る。
「―ルキアちゃん」
刹那、ルキアの背筋にひやりとしたものが走る。ギンの細い眼に感情を窺うことはできないが、口元は笑っていなかった。
「は、はいっ」
びくりと肩を震わせるルキアに、ギンは細い人差し指をゆらりと向けた。
「白玉、落ちそう」
「え…あっ」
見ると、ルキアが手にしている銀色の匙から、小豆と白玉が零れ落ちそうになっている。
慌てて匙を口に運ぶルキアを見て、ギンはくすくすと笑う。


―からかわれている…
いつものことではあるけれども、いたたまれなさに、ルキアは小さな匙をぎゅっと握りしめた。
「やっぱり、このような美味しいもの、私一人で食べては申し訳ありません」
「ええよ、僕は君に食べてもらいたかったんやし。気ィ遣わ…」
「はい!」
威勢のいい声とともに、勢いよくギンの目の前に差し出されたのは、ルキアの匙だった。
艶やかな白玉が二つ、その匙の上でふるふると震えている。
「早く!落ちてしまうではありませんか!」




予想外のことに、ギンの頭は動けなかった。
ルキアの剣幕に押され、差し出された匙をなかば反射的に口に含む。白玉の柔らかな感触と小豆の控えめな甘さが、口の中に広がる。
そうしてやわやわと味わっているうちに、麻痺していた頭が本来の動きを取り戻してきた。


目の前のルキアは、腹を立てたように少し頬を膨らませ、しかし似合わないことをしたと恥じているのだろう。その頬は真っ赤に染まっている。
腹を抱えて大笑いしたいのを押さえて、くく、と喉の奥でそっと笑うと、ギンはルキアのほうに顔を寄せた。
「白いの、もう一回くれへん?」
「あ、はいっ」
ルキアが慌てて、ガラスの器の中から白玉を掬おうとする。
その手を掴み、ぐいと上体を伸ばすと、ギンはルキアの頬に口元を寄せた。
「僕、こっちの白いのが良えなぁ」


ぺろり。


「ひああああっ!」
顔を真っ赤にして頬を押さえるルキアを、ギンはいつまでもいつまでも眺めていた。
颯々とした風が吹き抜ける、よく晴れた初秋の午後だった。










文章目次


Copyright(c) 2013 酩酊の回廊 all rights reserved.