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傀儡情歌





お前は俺のことを知らないだろう
いや
知りたくもないだろう


だが俺はお前を思い出す
忘れたくとも忘れ得ない
あの姿
あの佇まい
あの光








「おい、ウルキオラ!」
己の名を呼ぶ声が耳に入り、ウルキオラは静かな動作で振り返った。
すでに何度も呼んでいたのだろう。ヤミーの顔にはうんざりした色が浮かんでいた。
「藍染様がお呼びだぜ」
「…わかった」
視線を戻し、長い廊下を歩く。白く真っ直ぐなこの廊下は、この世界の主のいる場所へと繋がっている。
元々、装飾などには全く興味がないが、余計な物など何一つない虚圏は、邪魔されることなく思考を巡らすに相応しい空間と言える。
だがその簡素さのために、ひとたび雑念が生じてしまえば、その雑念に捕らわれたまま気を逸らすことも難しい、という事実を知ったのはここ数日のことだ。




目の前に浮かぶのはきらめく白い刃
流れる血
震える霊圧
こだまする怒声
それはまるで一つの小さな眩しい光




数日前に見たその光景が脳裏に浮かんで離れない
声が耳について離れない
これを何と説明すべきか俺は知らない








「…来たか」
ウルキオラの姿を認めると、藍染は椅子の肘置きに片肘をついた。その右手には、水の入ったグラスが握られている。藍染はグラスをゆっくりと揺らし、中の水が踊るのを眺めながら、まるで世間話でもするように軽く話し始めた。
「アーロニーロのいた宮に、朽木ルキアが転がっているんだがね」
「はい」
「実はどうするか迷っているんだ」
鳶色の瞳が高みからウルキオラを射抜く。
「ウルキオラ、君の意見を聞かせてくれないか」








ここ数日反芻し続けていた名前が藍染の口から出た瞬間、ウルキオラは用心という名の仮面を被ることを忘れなかった。
呼び出されていると聞いた時から、薄々気づいていたことだった。ここで朽木ルキアの処遇を問われること自体が不自然でもある。それは即ち、藍染がウルキオラに生じた何がしかの端緒に気づいた、ということである。
ウルキオラ自身、未だどう理解したらいいか分からずにいる、朽木ルキアに対する変化の端緒に。




そして臆することなくその目を受け止めたまま、既に脳裏に焼きついてしまった光景を瞬時になぞる。
「姿が残っているということは魂魄が残っている証拠。おそらく生きているでしょう」
「殺すべきだと思うかい?」
血の海の中に、一人横たわる女の姿。
感じる霊圧は既に弱い。放っておけば、そう長い時間もかからずに死ぬだろう。
指先から、つま先から少しずつ灰のように消えてなくなる女の姿を思い浮かべて―




なぜか喉の奥から熱い塊がこみ上げてくるような気がして、ウルキオラは思わずごくりと息を飲み込んだ。




「…判断しかねます」
「そうか」
藍染はひらりと片手を振るとウルキオラに退室を促した。一礼をして部屋を辞す。踵を返し、部屋を出るまでの間、藍染の視線が自分の背中に当たっていることを臓腑の奥が凍るほどに感じる。
いつもと同じ足取りで、いつもと同じように部屋を出て、いつもと同じ廊下を歩む。




だが遠く離れた自宮に着いて、ようやく己の過ちに気づいた。
『死ぬのは時間の問題です。放っておいても差し支えないかと』
いつもの自分なら、間違いなくこう答えただろう。あの瞬間、なぜ返答を誤ったのか。己の内に芽生えた迷いを分析しようとして、しかしウルキオラはその思考作業を放棄した。
冷静に考えてみても、いや冷静に考えようとすればするほど、やはり何と説明すべきかが分からない。模糊とした掴みどころの無い思考―それを「感情」と呼ぶのかもしれないが―が脳を支配し、目の前に再びはっきりと朽木ルキアの姿が思い浮かぶだけだ。
そしてウルキオラ自身何よりも驚きなのは、そうしている間の自分が、一瞬とは言え陶然とした状態に陥ってしまうという事実だ。
「どういうことだ」
思わず漏れた呟きは、自宮の真っ白な壁に吸い込まれるように消える。




思い浮かぶ姿は、真っ赤な血の海の中に倒れ伏している。剣を握ろうと伸ばされた片腕が、力なく横たわる。半開きになった瞳は既に彩りをなくし、小さな唇は蒼白のまま結ばれている。






例えば。
自分がその傍らに佇んだら、女は目を覚ますだろうか。
名を呼べば、その唇を開くだろうか。
その手を取れば、四肢に力が戻るだろうか―






そこまで考えて、ウルキオラは埒も無い仮想の問答を繰り返している己に気づき、ゆっくり翡翠色の瞳を閉じた。
「馬鹿げたことを」
女は瀕死だ、おそらくあのまま死ぬ。よほどのことがない限り、再び息を吹き返すことはない。
だが、閉じた瞳の奥にも朽木ルキアの姿が浮かぶ。
むしろ最前よりも、ずっと鮮明に。
じわり、と再び熱いものが込み上げてくる感覚に、ウルキオラは苦しげに眉を顰めた。




これは何だ。
これは一体何だ。
俺はどうしたというのだ。
「不可解だ―」








ここは藍染様の掌の上
俺たちは藍染様の駒
忠実で迷いのない闘う下僕
王鍵を創り出し、世界を陥れるまで
俺たちの全ての行動、思考、感情は藍染様に握られている




二枚舌を使うつもりはない
付き従うことに迷いはない
己の進む道筋に恐れはない








だが



思い出すことは許されるだろう?








「朽木の姫よ―」











「かいらいじょうか」とお読み下さい。プラトニックなウルルキもいいなぁ、と。

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