本日のお気に入り
この事態をどうすべきか。
阿近はその明晰な頭脳を最大限に働かせて考える。
ルキアは、可愛い(と本人は思っている)モノに目がない。
お気に入りの“可愛い”モノはその時々で変わり、一旦気に入ったモノはそっと懐に忍ばせていたり、飽きずにずっと眺めていたり、とかなりの執着を見せる。
例えば、局で開発しているチャッピーグッズなどはその最たるものだ。阿近にはその魅力は全く理解できないのだが、ルキアはこのマスコットをかなり気に入っており、私物にはそこかしこにチャッピーが溢れている。
そしてここ最近。
ルキアのお気に入りのモノは、どうも、コレらしいのだ。
「鵯州殿の体は本当に不思議だ!」
調査のためにしばらく局を留守にしていた阿近は、技術開発局に戻るなり、通信科へと足を運んだ。
「おぉ阿近!知ってるか?すごいのだぞ、鵯州殿の体は」
「足繁く通ってるとは聞いていたが…俺がいない間に、こんな所で何をしている」
「現世からここに没収された荷物に、どうしても確認したい物があったのだ。そうしたら貴様がおらんから、鵯州殿に教えてもらったのだ。これが面白くて」
そして、我慢ができないとでも言うようにくすくすと笑う。
鵯州の何がルキアの気に入ったのか、阿近はしばらく観察していた。
阿近に“可愛い”という感性は存在しないが、鵯州の存在が、一般的に“可愛い”と言われるものから大きくかけ離れているであろうことは判る。
その何が、気に入ったというのだろう。
鵯州が取っ手を回して目玉を出せば歓声を上げ、コンソールのキーを目に見えない速さで叩けば、羨望の眼差しで見入る。おそらくルキアにとっては、通常の人間が持ち合わせていない、規格外の体が珍しいのだろう。
そう結論付けてしまうと途端に事態はつまらなくなり、阿近の中で知的好奇心よりも、不快感の方がむくむくと増してきた。
何かの拍子に、鵯州が太い指でルキアの腕に触れようとしたとき、その不快感は遂に爆発した。
「―おい」
その形相に、鵯州が一瞬ひるむ。
「勘違いするんじゃないぜ阿近、こいつが勝手に通って来やがるんだ」
「これは俺の標本だ」
「おいおい、俺は何もしてないぜ。まだ、な。きへへへ」
そう言いながらも、鵯州の視線はルキアの身体から離れない。阿近もまた、そんな鵯州から視線を外すことなく、その太い腕を捻りあげた。
「いてててて!てめー、何すんだ阿近!」
そして見向きもせずルキアの腕を取ると、
「戻るぞ」
真っ直ぐに出口へと向かい、通信科の扉を出て行った。
「ちっ」
「ほほ、やっぱりダメだったねぇ」
「阿近の野郎が戻ってくるまでに解体しちまえばよかった」
「そんなことをしたら、この世で一番苦しむ方法で殺されますよー」
「あの肌にメスを入れられるんなら、それもアリだぜ」
「まったくだ」
「あの肌、骨格、佇まい。美しくあることを約束された調度品のようだ」
「阿近が執着するのも道理ってわけだ」
「あーあ、つまんないなー。また来ないかしら」
「おいリン、てめぇさっき、ルキアとなんかコソコソ話してただろ。何だよ!」
「ひっ!ななな何でも無いですよっ」
阿近の病的とも言える執着の強さを、局員たちはよく理解している。
ひとたび彼の関心を捉えたものは、何があってもその手の内に納める。
そのためならば邪魔する者をありとあらゆる手を講じて死に追いやり、累々たる死者の山を築くことも厭わないだろう。
そして手に入れたものは決して手放さない。触れようとするものはその手を腐らせ失うだろうし、覗き見ようとする者は激痛と共にその両目の光を失うだろう。
そうやって周囲に悲鳴が飛び交い、腐臭がたちこめたとしても、おそらく阿近は陶然と対象を眺め、愛おしく愛撫し、その青白い顔に恍惚の笑みを浮かべているのだ。
阿近とはそういう男だった。
それを一番理解できていないのは、おそらくその執着を向けられている当の本人、ルキアだけだろう。
「放せ、放せ阿近っ」
青白い腕は思ったより力が強く、ルキアの細い手首を掴んだままぐいぐいと廊下を進んでゆく。
怒りの形相の阿近とルキアの悲鳴、というただならぬ雰囲気に、通りすがる者たちが思わず道を開ける。
「放せ阿近、私はどこにも行かぬ!」
しかし阿近は一言も発することなく、振り向きすらせず歩き続け、自室に着き部屋の扉を閉めたところで、ようやく手を放した。
「全く、どうしたと言うのだ。あれでは鵯州殿に悪いではないか。随分と親切にしてくれたのに」
赤くなった手首をさすりながら、ルキアはぶつぶつとこぼした。
「あそこで何をしていた」
ルキアは記憶をたどるように、視線をさまよわせる。
「鵯州殿に新しい伝令機を見せてもらった。他の者は、機械を触らせてくれたぞ。そう!それから、壷府殿はお菓子にとても詳しいことが分かったぞ!」
嬉々としたルキアを前に、憮然とした表情のまま、阿近は腕組みをした。
「あいつらの行為を純粋な善意だと思うな。あいつらが無償で人に親切にするとでも思うか?隙があればいつでもお前を解体する気でいるし、親切はそのための布石にすぎん」
その言葉に、ルキアは細い首を傾げた。
「貴様もそうではないか」
腕を組み、偉そうに阿近を見上げる。
「なのになぜ、自分だけは例外だ、という風な口を利く?」
頭脳の働きは、大概の者より優れている自信がある。だがルキアの言葉は時折不意に、すこん、と阿近の腑に落ちる。
なるほど、と阿近は考える。
ルキアの指摘はもっともだ。阿近もまた、隙あらばルキアを解体したいと考える一人に違いない。
阿近はルキアを見下ろしたまましばらく考え、ようやく一つの答えを出した。
「俺は、対象を愛する」
ゆっくりと手を伸ばし、節だった両手でルキアの顔を包む。
小柄な身体にふさわしくその顔もまた小さくて、ごつごつした手の内にすっぽりと収まった。久しぶりの、柔らかで繊細な感触。久しぶりの温もり。
「それは当人にしか分からぬことであろう」
阿近の手の中でくぐもった声が漏れ、迷惑そうなしかめっ面がのぞく。
あぁなぜこの愛が伝わらないのか、と阿近はもどかしく思う。
これだけの愛を注ぎながら、こんなにも執着しているというのに、なぜ伝わらないのだろう。
なぜ、なぜ、と考えたところで思考はいつも行き詰まり、次第に考えることすら面倒くさくなり、目の前にルキアが姿を現せば、もはや思考回路は働くことを放棄する。
こうして、ことルキアに関する限り自分の頭脳がうまく働かないことが、また阿近を苛立たせ、焦らせる。
ルキアの袂の中でかさり、と紙の擦れる音がした。どうせ、リンからもらったお菓子だろう。
「捨てろ」
「嫌だ」
「じゃぁ俺が捨てる」
「なんてことを言うのだ!これはな」
ルキアは袂から小さな紙袋を取り出すと、ひらひらと阿近の目の前に掲げた。
「この時期限定のお菓子なのだぞ!!店頭に並ばないと買えない、貴重な代物なのだ」
えへん、と宣言して掲げられたその包みを阿近は躊躇うことなく奪い取ると、くしゃりと握りつぶした。ルキアはしばらく呆気に取られていたが、やがて諦めたのか、ふぅとため息をつく。
「まぁいい。どうせ明後日、壷府殿と店に並ぶ約束をしたからな」
その店には、近日中に店を閉めてもらわなければならない。
そのための方略を、阿近はその明晰な頭脳を最大限に働かせて考え始めた。
やっぱり阿ルキが好きなのです。
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