文章目次

雛桔梗の揺れる日に





1ヶ月ほど前に借りた本を返そうと阿近の部屋を訪れたルキアは、中に入ろうとしてはたと動きを止めた。
怪訝な表情で目の前の光景をまじまじと見つめる。
―一体、これはどういうことだ?
「奴にこんな風雅な趣味があるとは思えぬしな…」
普段は怪しげな実験器具やら分厚い本やらで溢れている部屋の中には、それはもう様々な種類の大量の花が、無残に散らばっていた。




その花や書物の山に埋もれるようにして、あぐらをかいた部屋の主の姿がちらりと見える。
花を1本手に取っては放り投げ、また1本眺めては放り投げる。そうして、見る間に床は花で埋め尽くされてゆく。
「…さながら、花の出荷風景だな」
やれやれとため息混じりにつぶやいた声が聞こえたのか、阿近が振り向いた。そしてルキアの姿を認めるとゆらりと立ち上がり、くしゃりくしゃりと花を踏み潰しながら歩み寄る。目の前に立った男は、無表情のままルキアの細い顎を持ち上げた。
今日は何をされるのか、とルキアは一瞬身構えた。
この男には幾つもの前科がある。いつでもみぞおちに一撃を加えることができるよう、拳をぐっと握る。
しかし今日の阿近はただ、穴のあくようにルキアの瞳を覗き込むだけだ。
「…気味の悪いやつだな」
他の男に同じことをされたら多少はどぎまぎするのだろうな、と頭の隅で考え、何人かの男の顔が脳裏をよぎった。さっきも、どこかの隊員にちょっかいを出されたばかりだ。
しかしいつものことながら、この偏執狂の研究者の仕草は大事な標本を愛でるようで、艶っぽいところなどまるでない。
しかしだからこそ、ルキアはここへ通ってこられるとも言える。
その偏執狂はルキアの言葉など無視して
「違うな」
と一言つぶやくと、くるりと踵を返して再び花の山の中へ戻ってゆく。
「…一体なんなのだ」
全く訳がわからない。




再びあぐらをかいた阿近の傍へ、花を踏まないように気を使いながら慎重に近づく。花を掴む阿近の手のもう一方、細く長い指の中には小さなガラス球が握られていた。
「阿近、何だそれは?」
「お前の眼球だ」
「貴様いよいよ私を解剖する気か」
「同じ色が作れなくてな…薬品をいろいろ組み合わせてみたんだが。ひょっとしたら自然物に、と思ったんだが…」
問いの答えにはなっていなかったが、いつもは傲慢で尊大な阿近が珍しくため息をつく。よくよく辺りを見てみると、確かに青や紫の花ばかりだ。阿近の部屋は、ルキアの瞳の色で埋め尽くされていた。
ルキアは気落ちした様子の阿近の姿をしげしげと眺めていたが、ふと或ることが思い浮かんだ。
「待て阿近、良いものがあるぞ!」
「何だ?」
「いいから待っておれ、すぐ戻る!」
ルキアは、ぴし、と阿近の鼻先で指を差すと、風のように立ち去った。
残された阿近はまるで縛道にかけられたように脱力し、すとんと腰を落とす。頭の中には、先ほどの去り際の強烈な眼光がちらつく。
―あぁ、あの眼球だ、あの光だ…







あの瞳を再現しよう、と思い立ったのは数日前だった。
隊務で虚討伐に行ったルキアはその事後処理やら何やらで忙しく、数週間ほど姿を見せなかった。その不在にたまりかねた阿近は、せめて手元に代わりの愛玩物を置いておこうと思ったのだった。しかし生来の偏執的な凝り性と対象への執着の為か、日々研究室に篭って没頭するものの、作成は遅々として進まなかった。
言うまでもなく、開発途上にあった他の多くの研究が滞り、犠牲になった。




どれほど待ったろうか。
息を弾ませて戻ってきたルキアの手には、一輪の小さな花が握られていた。床に腰を落としたままの阿近の前に、同じように腰を下ろす。
「今朝、屋敷の庭に咲いていたのだ。白哉兄様が見つけて、私の目の色にとてもよく似ていると言って下さった」
と、うっすらと頬を染めて目を伏せる。
「何という花だ?」
「雛桔梗、というそうだ」
確かによく似ている。薄紫色の小さいその花は、ほっそりしていながらも不思議な存在感があり、色だけでなくルキアの雰囲気までも伝えてくるようだった。
「もらうぞ」
「そのつもりで持ってきたのだ。もっと欲しければ、兄様に伺ってこよう」



とりあえず求めていたものが見つかり、阿近は満足した。
そしてようやく我に返ってみると、ルキアが戻ってきたのだから代わりの愛玩物ももはや必要ないのだ。
抗うルキアを無視して、その小さな体を引き寄せる。変わらぬ姿、声音、立ち振る舞いに心の底からの満足を味い、さてこれからどうやって遊んでやろうか、と考える。



ルキアから「兄様が」と聞いた時、なぜか胸に浮かんだ名の分からない不快な感情は、とりあえず無視するとして。










阿ルキが好きだーーっっ!!!(絶叫)


文章目次


Copyright(c) 2009 酩酊の回廊 all rights reserved.