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永遠に





「あああああ阿近っ!」

いつものように阿近の研究室に本を読みに来たルキアは、いつものように今日読むべき本を本棚から物色しており、そして阿近もまたいつものように、そんなルキアの一挙手一投足を観察していた。
が、ふと床の片隅を見たルキアはびくりと肩を跳ね上がらせると、今まで聞いたことのないような恐怖の混じった声で阿近の名を叫んだ。先ほどまでの澄ました顔は、ほとんど泣き出さんばかりになっていた。

「虫が、虫が死んでいる!」
「それがどうした。摘んで捨てろ」

しかしルキアはその亡骸があると思われる一点を見つめたまま、胸の前で手を結び、身体を固くして立ちすくんでいる。
―成る程。バケモノ然とした虚は平気でも虫は苦手か。
また一つ新しいことを知ったと満足したが、固まったままのルキアをそのままにしておく訳にはいかない。阿近は仕方なく椅子から腰を上げると、ルキアの見つめる干からびた虫の亡骸(ルキアの親指ほどの大きさの甲虫だった)を摘み、部屋の窓を開け、つまらなさそうに放り投げた。

苦手なものでも行方が気になるのか、ルキアが放物線を追って恐る恐る窓の外を覗く。
普段は本の変色を防ぐために開けないこの窓は、ルキアにとってはやや高い。己の隣に爪先立ち、窓枠にきちんと添えられたその両手の爪が、窓にしがみつこうとする力のために白くなっているのを見つけ、その指全てに歯を立てたい衝動に駆られたが、途端に手痛い攻撃に遭うことは容易に想像がつき、諦めた。
「どこに放ったのだ?」
「知らん」
窓の外には小さな庭があった。誰が世話する訳でもないがいつも何かしらの野の花がさいており、ルキアが気に入っている場所だった。次の散策の時に虫の亡骸が転がっていたら…それがルキアには気になるのだろう。
「まぁ、そのうち朽ち果てて雑草の肥やしにでもなるさ」

気休めのように阿近が言ったその一言が、ルキアに何か大きな衝撃を与えたらしかった。
その深紫の瞳がさっと阿近を見上げ、冷たい瞳をじっと見つめると、何かを得心したように再び庭へと向けられた。
「…そうか、あの虫は肥やしになるのだな」
思慮深くゆっくりと瞬かれる漆黒のまつげを、阿近は眩しく眺めた。


「阿近」

静かな声に、阿近は自ずと眼を細める。
この声が、今ただ自分だけに向けられている。これを恍惚と言わず何と言うのだろう。

「私も死んだら、誰かの肥やしになるのだろうか」

ルキアは時折唐突に、生や死の境を越える問いを発した。
それは恐らくルキア自身が生死の境を彷徨った経験から来るのだろう、と阿近は結論付けていた。だがどんな出来事だったのかは分からず、ルキアもそれを語ることはなく、時にそれがもどかしくもあったが。

「お前が死んだら、」
青白い腕を背中からルキアの身体に回しながら、祈るように静かに呟く。

「お前が死んだら、頭から足の先まで筋肉内臓は一つも残さず脳髄から血液まで体液は一滴も残さず骨の一欠けら、髪の一本も残さず俺が喰ってやる」

もしこの言葉が他の誰かによって告げられたものならば、おぞましい考えとして拒むかもしれない。だが阿近の口から聞くと、何かそれがとても神聖な儀式のように聞こえるから不思議だった。そして実際、阿近にとっては最上級の慈しみ方なのだろうと思えた。きっと恍惚の表情を浮かべながら悲傷の涙を流すに違いない。

「そうして私は貴様の血や肉となるのだな」
ふふ、とルキアが喉で笑う。その振動がルキアの背中を通して、密着した阿近の体に直に伝わる。臓腑の奥底から痺れるような激流が走る。
「それも悪くないな、阿近」
激流を抑えるように、強く、強くルキアを抱きしめる。
「そうだ、そうしてお前は永遠に俺のものとなる」


あぁだからどうか
遠くに行ったりなどしないで
この腕の中で生き、この腕の中で息絶えて



表に載せるのはギリギリでしょうか。でも阿近さんはクソ真面目に言っていると思ふ。
冒頭の叫び、ちょっと読み方を変えたらエロ小説になってしまうのだが…封印封印(滝汗)

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