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嗤う





細く、長く吐いた煙は、一つの筋になって空気中に滑り出た後、すぐに勢いを失い、のたりと宙を漂った。
手が届くかどうかの距離にできた白い靄を、見るともなしに眺めながら、阿近はまた一つ、煙を吐き出した。




技術開発局には様々な依頼が、表に裏にとやってくる。
昔から、こっそりと依頼されることの一つに、煙草の調合があった。精霊挺でも煙草を売ってはいるのだが、より刺激の強いものを求めて、非合法すれすれの調合を頼む者がいるのだ。
薬草や生薬、植物の実や葉を調合しながら、好奇心で自らも吸うようになって、もう随分が経つ。今では、その時の気分や疲労の度合いで、自分好みの調合をするようになった。
今日の調合は、いつもよりかなり、強めだ。




「―――ふ」
深く息を吸い、少し間を置いてから、強く細く吐く。
吐く煙に溜め息が混じっていることは、自分でも分かっていた。薄暗い自室に次第に濃くなってゆく靄は、阿近の視界をただ曖昧にするだけで、何の慰めにもならない。
例えば、二番隊の任務を三番隊が替わって行うことはできる。しかし技術開発局のやっていることは、その性質上、他の隊で替わることができない。必然的に局で担う業務が増え、それはつまり、阿近の仕事と気苦労が増えることに繋がるのだ。
そうして、この僅かな休息の後にも待っている業務を思い浮かべて、阿近はまた、溜め息とともに煙を吐く。



―少し、強すぎたか。
頭にぼんやりとした浮遊感を覚えて、阿近は軽く目を閉じた。脈拍は変わらない、呼吸も変わらない、とすればあの生薬の配合がまずかったか。次は少なめにしよう、と考えて瞼を開き、阿近は煙草を掴もうとした手をふと止めた。
たち籠る煙の幕の向こうに、人影があった。
細い目をさらにすがめて凝視し、おぼろげな形が像を結ぶと、阿近は口角を釣り上げた。
「俺も堕ちたもんだ」
じんわりと痺れた脳を持て余し、あるはずのないものを見る己を、鼻で嗤う。
小柄な輪郭は白煙に紛れるほどだが、その中でも紫紺の瞳は炯々と阿近を見据え、見間違えようもない。しかし凛然とした声音をもつその人は、今は遠征に出ていて、精霊挺にはいないはずだ。
「―幻なんて見るとはな」
笑った口元のまま、肺に溜まった煙を宙に放つ。
愉快そうに笑う阿近を、生身の彼女なら嫌味の一つも言って気味悪がるだろうが、どうやら、白煙の中の彼女はそうではないらしい。




思考がぼんやりと定まらないことを認めて、阿近は考えることを放棄した。怜悧な瞳にとろりとした光を宿し、煙を深く吸う。強いはずの調合が、やけに心地良い。
「いいぜ、来いよ。今の俺は気分が良い。」
声に応じて、影がゆらりと動く気配があった。
訪れた獲物をみすみす手放すほど、腑抜けてはいない。いっそこのまま意識を手放し、嗤いながら壊れてゆくのも悪くないかもしれない。
珍しく獰猛な思いに駆られて、阿近は笑みを深くした。
乾いた唇を舌でなぞると、煙草を灰皿に押し潰す。
「痺れるほど可愛がってやる。」











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