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美しき霹靂





実によくできている、と思った。
霊子を含まないという禁忌の造りとは言え、現世から回収されたその義骸は素晴らしかった。
ほとんど完璧とも言えるだろう。
白磁のような滑らかな肌、細く強い手足、無駄のない肉付き、そし義眼とは思えないほど澄んだ眼球。
実用品と言うよりも芸術品に近かった。
造り手の狂気とも思える妄執を感じた。
これを作る間、作り手は幸せの中にあっただろう、と同族のにおいを感じながら阿近は思った。

ただ。
他の局員たちは口々に「まだ実物には及ばない」と言うのだった。
「実際の骨格はもっと繊細よ!首から肩にかけてなんて、うっとりするほど」
「声もいいぜ、強くて、それでいて柔らかい声。あの声帯はどうなってんのかね?」
「動きも美しい。微塵も無駄なくバネのようで、しかし優雅。美しい筋をもっているに違いない」
「そしてあの紫の瞳」
「あぁ瞳」
「あの瞳だ」
「あの瞳を作り出せる者は果たしているのだろうか?」
局員の間では有名な存在であることを阿近は知らなかった。変人の巣窟とされる技術開発局のこと、対象への興味関心はすなわち解剖、分解、実験、その他諸々の一般には理解され難い行為に直結するのだが。
阿近は朽木ルキアを知らない。
大貴族なぞに興味はない。
ただそれだけだった。


機会はすぐに訪れた。
尸魂界では禁じられている義骸の製作者について本人に問いただすよう、命が下されたのだ。旅禍騒動で不在の局長に代わり、阿近が出向くことになった。

真っ白な懺罪宮、その一角の面会室に罪人はいた。
間に合わせの机、一対の椅子。しかし眼を閉じ、背筋を伸ばして座す小柄な女に罪人の雰囲気はなく、がらんとした部屋にも厳粛さを与えていた。
見張りの死神に促されて中に入り、ぎしりと椅子を軋ませ向かいに座ると、阿近は軽く目を見張った。完璧な美しさだと思った義骸、その分身が目の前にあった。

―これは…

僅かながら気が高揚していくのを自覚する。しかしすぐに研究者の目に戻り、あの時義骸を検分したように観察した後、鷹揚に名乗った。
「俺は阿近、技術開発局の者だ」
その声を合図のように閉じられていた瞼がゆっくりと開き、はっきりと阿近を見定める。そして形のよい小さな唇を開くと、まるで世界の終わりを宣告するようにゆっくりと告げた。
「私の名は朽木ルキア。元十三番隊隊員だ」


「…っ!」


息を呑んだ。
鳥肌が立つ音を聞いたような気がした。
紫紺の瞳に射すくめられたまま、動けない。

「義骸の製作者のことであれば、私は知らぬ。残念だが何も語れ…」
「いや、そんなことはどうでもいい」
阿近は唐突に言葉を遮った。
ルキアが怪訝そうに眉をひそめる。瞳の色が、やや翳る。

いったい…
いったいこれは何なんだ?
あの義骸が完璧であるとするならば、この存在を何とする??


これまでに作った義骸の数々が瞬時に脳裏に蘇った。どれもが、今の技術の中では改心の出来だと自負していた。周囲もそれを認めた。
しかし。
この存在を前に、あれらは全て“屑”だったと躊躇なく言い捨てることができる。
生き物に求める全てが目の前にあった。
無駄のない身体、しなやかな手足、光を放つような白い肌、流れるような黒い髪、脳裏を震わせる凛とした声、そして見るものを全て吸い込むような紫紺の瞳、強さ、繊細さ、気高さ、儚さ―。

冷や汗が腋の下を流れる。
頭痛がしてきた。
何も考えられない、聞こえない。世界から音が消えたようだ。


錯綜する思考をなんとか抑えて搾り出した声は、自分でも情けないほど掠れていた。
「なぜだ、なぜお前はこんな所にいる?」
「大罪を犯したからだ」
「いや、俺が聞きたいのはそんなことじゃねぇ」
頭を振り、木っ端のように弾け飛んだ己の思考を必死で整理する。しかし視線は、ルキアに向けたまま逸らさない。その視線を受け、ルキアが怪訝な表情のまま首を傾げる。黒髪が僅かに、さらりと流れる。

…なぜだ?
なぜ、こいつはこんな所にいる?
なぜこいつは、俺の知らない所で生きているのだ?


嫉妬とも怒りともつかない感情が駆け巡る。

なぜこれが、この美しく強い生き物が、俺の造ったものではない?
俺のものではない?

―欲しい。

その思考はごく自然に、創造の亡者たる強欲な結論に行き着く。


―これは、俺のものであるべきだろう?

「お前はこんな所に閉じ込められるべき存在じゃない。」

―欲しい。この存在を俺の手元に欲しい。


「もし…もしこの処刑がなくなったら、俺の元に来い」
「処刑がなくなることは万に一つもない、私は明後日処刑されるのだ。それに私が死んだら、どうせ遺骸は貴様らの元に届けられるのであろう?」
「死体では意味がない。生きている貴様が欲しい。」

冷徹な、それでいて今にも暴走しそうな狂気を宿すまっすぐな視線を受けて、ルキアがややたじろぐ。しばらく仮定と現実の不毛な押し問答を続けたが、遂にルキアは根負けし、ため息をもらした。
「さすがは技術開発局、すさまじい執念だな。良いだろう、約束しよう。もし処刑が行われず、もし私が生き延びることがあれば…貴様の元に行こう。それで良いか、阿近?」
と言うと、ふわりと笑った。

目の色が、声が変わった。何よりも纏っているその空気が変わった。
その変化に再び喉が詰まる。
―あぁやはり欲しい。

聞き出したいことは山のようにあった。もし許されるならば触れて確かめたかった。瞳の色は遺伝か、何かの突然変異か?骨格、生まれた場所、死神としての霊力、斬魄刀の属性、等々…。
しかしそこで許された面会時間は終わり、なんとか言いがかりをつけて抗ったものの、屈強な見張りに無理やり引きずり出された。名残惜しさのこもった目で見つめ続ける阿近をよそに、ルキアはと言えば、再び瞼を閉じ、静かに座すだけだった。
―嗚呼…

何者も寄せ付けぬ孤高の魂。
鋼のような強さと、絹糸のような触れがたさ。
―美しい。


結局、義骸の製作者等については何も得ることがなく検疫局からは苦情が来たのだが、阿近は意にも介さず、むしろ嬉々としていた。手に入れたいと欲し、調べたいと願い、己の関心と技術の全てを駆り立てるものを見つけた。それは喜び以外のなにものでもない。


数日の後。
オレンジ色の頭をした旅禍が双極を破壊した瞬間、局員達はその様子を情報開発科のモニターで見ていた。
双極は破壊された。処刑は中断された。
旅禍を解剖したいと騒ぐ局員たちの中、阿近は唇の端で一人ほくそ笑んだ。


―さぁ早く、早く俺の元に来い、朽木ルキア―



阿近とルキアが出会ったのは、義骸発見後ではないか、と想像してみました。どうかなぁ、どうだろう。

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