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愛なんてそんな陳腐なものじゃない





ルキアは空を見上げていた。
空を見上げていないと、涙が零れてしまいそうだったからだ。

口さがない人々の悪言には聞き慣れた。馬鹿の一つ覚えのように同じことばかり言うのだから。 それでも、胸を抉る辛さはいつも新鮮なもので、痛みが減るなんてことはない。
痛みに心臓が抉られるたびに、心臓が減っていって、そうして心なんてなくなってしまえばいいのに、とそう思った。

涙が零れそうになるのも、こんなに胸が苦しいのも、全て自分の弱さの所為だろう。
きっと兄様なら、こんなことでくよくよめそめそしたりなさらないに違いない。



空はどこまでも真っ青だ。そして近い。
吸い込まれそうなほどに。飲まれそうなほどに近く、世界を覆っている。
いっそ、吸い込まれてしまいたい。こんな惨めで役立たずなど、朽木の家にはいらないだろう。

そうさ、私なんている価値などない。
ああ、吸い込んで消し去ってはくれないだろうか。




ルキアの心は沈みこむ。晴れ晴れとした空の下、卑屈と嘲りとを自分自身に繰り返し、ずぶずぶとルキアは沈んでいく。










がさり。



雑草と、木々の間を掻き分けこちらへ来るのは、嗅ぎなれた男の気配だった。
気配は真っ直ぐにルキアに向かってくる。何事か用であっても、できれば今は一人にして欲しかった。

けれど、やがて白衣を閃かせて現れた男は、どさりとルキアの隣に座り込んだ。
ルキアは小さく溜息を零した、そして隣に座り込んだならず者に視線もくれずに問う。


「・・・・・何か用か。阿近。」

「用などない。」


即答した男に、ルキアはまた溜息を一つ。


「・・・・・質問を変える、何をしている。」

「見物。」


「――何を?」

「お前。」


ルキアは少し眉根を寄せた。


「・・・・阿呆。面白くもなんともないぞ、私なんか見ても。」

「面白いから見ているんじゃない」


「・・・・・・・じゃあなんなんだ。暇つぶしか?」

「俺に暇なんてない。」


ルキアの問いを予想していたかのような簡潔な、けれど意味の分からない答えが即返ってくる。 ルキアは今度こそ盛大に溜息をついた。


「・・・・・・・・・もういい。とにかくあっちへ行け。」


この男の偏屈は承知済みだ。自分のような者に物怖じせずに近づいて。『好意』でも『悪意』でもなく単純な『興味』で執着する男。
慰めるとか、諌めるとか、励ますとか、そんなつもりは阿近にはないのだろう。
ルキアの卑屈になった心も、自分に対する苛立ちも泣きそうな気分も、阿近にとって興味深いものの一つでしかないのだから。

ルキアは、この男の行動が己の言葉ひとつでどうにかなるものでもないのもよく知っていた。けれど隣に座ったまま、じっとこちらを見ていられては居心地が悪い。


「・・・・あのな、阿近――」


いい加減痺れを切らしたルキアが、男を睨みつけようと横を向けば、男の青白く骨ばった指先がルキアの目の前に伸びて、ルキアの頬をするりと撫でた。


「なっ・・?なんだ・・?」


男の思いがけない行動にルキアが目を丸くした。


「空にお前が飲み込まれそうだ。だから見張っている。」


阿近の口から発せられた思わぬ台詞に、ルキアは咄嗟に返答に詰まった。


「――何を言っている。そんな空想めいた台詞、お前らしくない・・・。」

「いいや、実に現実的だ。」


阿近はルキアの身体に手を回し、その腰を絡め取って自分の腕の中に捕らえた。
優しさも、同情も、激情もない。 ただ、本当に見失わないように繋ぎ止めるためだけの、ひんやりと冷えた腕が、ルキアのは頭の中を、心を落ち着かせ冷静さを取り戻させた。


ちらりと隣の男を見上げ、ルキアは物憂げに問う。


「・・・・・・飲み込まれそうになったらどうするのだ。」

「一緒に飲まれる。」


「・・・・普通『助ける』とか『引き止める』とか言わないか?」


またも即返された答えにルキアはきょとりと目を瞠り、それから呆れたように呟いた。





「お前が空に飲み込まれたがっているなら、俺は止めない。だけどお前のいない世界には耐えられない。お前のいない世界など必要ない。だから一緒に飲まれる。」


生真面目に、けれどただ真っ直ぐにルキアを見たまま、阿近はそう、断言するように答えた。


「まるきり愛の告白だな。」

「そんな陳腐なもんと一緒にするな。」


にやりと笑って答えた阿近にルキアは諦めてゆっくり吐息を吐き出すと、そっと阿近の肩に凭れかかった。
骨ばって、けれどしっかりと広く力強い阿近の身体。阿近は戦闘要員ではないけれど、それでもその腕は、力強くルキアを捕らえ支え、何があっても決して離れることがないように思えた。





ルキアはもう一度黙って空を見上げた。


空はさっきと変わらず青く、近い。
けれど今は空より、今は隣にいる阿近のほうが、もっともっと近くに居る。
吸い込まれそうな青よりも、阿近の存在とその執着が、ルキアを捕らえている。





「傍に居させろ、俺から離れるな。消えるときは一緒に連れて行け。」



淡々と、その青白い顔の表情さえ変わることもなく、阿近はそう紡ぐ。
ルキアはふっと吐息を吐くと小さく笑った。


「・・・・・端から聞いたら求婚のようだな。」

「そんな刹那的なもんと一緒にするな。」





やっぱり淡々と紡がれる阿近の言葉は酷く心地よい。
そうぼんやり思いながらルキアは阿近に凭れかかったまま、そっと目を閉じた。









「告白より、求婚より、俺の執着はもっと上等だぞ?」


やがてゆるりと眠りに落ちたルキアの唇を、神経質な指先で優しくなぞると。
阿近は小さく微笑んだ。








君が行くなら何処へだって。

地獄も空も、馬鹿げた楽園でも。
輪廻を巡るというのなら、果てまでもきっと。



 













yuki様に頂いてしまいました!!!あああなんて素敵な阿ルキ!!!この執着っぷりがたまらない!!
理想の阿ルキですもう家宝に致しますいっそ崇めたいくらいです!!サイトやってて本当によかった…本当にありがとうございましたー(T_T)

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