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その視線の先さえも〜着物にまつわる嫉妬(その3)





「話は,よおわかったわ。」
「おおそうか。やっとわかってくれたか。」



目の前に座る不機嫌な恋人を,見つめながらルキアは息を吐いた。
さっきから押し問答のような説得が半時以上も続いている,さすがのルキアも疲れ切っていた。
「でも,なあんで,ルキアちゃんがボク以外の奴の許嫁にならなあかんの?」
「わかっておらぬではないか!!何度説明させれば気が済むのだ?」



そう,目の前に居るのは市丸ギン。細い目を一層細いじと目にしてルキアを睨んでいる。
普段なら最愛の恋人朽木ルキアの歩いた地面にさえ,口づけを落とさんばかりに熱愛しているギンなのだが,今回ルキアがおそるおそる切り出した事柄を,聞き入れる様子は微塵もなかった。



「だから,浮竹隊長が気に染まぬお見合いを断るための,仮の許嫁だと何度言えば・・・」
「仮でもなんでもいやや!何でルキアちゃんがそないな役,やらんとあかんのや?十三番隊には女子はなんぼでもおるやろ!!」
十三番隊第三席虎徹清音ならば嬉々として浮竹の隣に立つだろうし,他の女子にしても御同様であろう。
「普通の相手では先方が納得しそうもないのだ。浮竹隊長は貴族の家柄,しがらみも多いのだ。しかも相手側は大乗り気なうえに貴族同士の体面と義理,政治的なものもからんでいるらしい。」
「は――それで大貴族朽木家御令嬢のルキアちゃんを引っ張り出して,相手に文句言わさへんようにするっちゅうわけやね。」



ギンは心の中で舌打ちした。
あの病弱で床についてばかりの十三番隊隊長浮竹十四郎の考えそうな老獪な策だと腹の中が煮えくりかえる。
ルキアを納得させるもっともな理由を差し出して,公共の場で,たとえ仮にしても許嫁と言う既成事実の発表を行い,なしくずしに己の物にしようという魂胆が見え見えなのである。



(あんの,ロリコン親父が・・・ボクのルキアちゃんに手え出そうなんてええ度胸や,このままでは済まさへんよ・・・)





ギンは暗い炎を燃やしながらも,そんな様子はおくびにも見せず,ルキアに尋ねた。
「それでその見合いはいつどこでやるん?」
「来週の日曜日の正午に『菖蒲亭』という料亭で行われる。」
「そう・・・まあ,しゃあないわな。もう決まってしもたことなんやろ?」
突然,あっさりと納得した恋人の口調にルキアは面食らった。このまま散々ごねまくった挙句に自分に無理難題を押し付けてくるかと思ったのに・・・。
「よ,よいのか?」
「いいわけないやん。本当やったら浮竹はんのこと闇討ちにでもしたいくらいや。でもそないなことしたら,ルキアちゃん困るからな。」
「あ,当たり前だ!!」



この男が言うと全く冗談には聞こえず,ルキアは慌てて首を振った。
そんなルキアを愛しげに見つめると,ギンはすいと立ち上がりルキアの背後に回るとそろりと抱きしめた。ため息とも吐息ともつかぬ熱い息がルキアの首筋にかかる。
「本当はいやや。キミの目ぇに,ボク以外写ることさえ耐えきれんのに許嫁なんて,なあ・・・。」
「だから,仮だといっておろう。」
ルキアの初心な答えにギンは苦笑する。周りの思惑になど何一つ気付いていない無垢な花。そこがもどかしく愛おしい。
(あかんなあ・・・早く身も心も全部ボクのもんにせえへんと・・・安心出来へんわ。)



唇が首筋にふれ,ギンの手がルキアの着物の袂に伸びる。ルキアは慌ててその手を押さえる。
「ギ,ギン!?まだ日が高いのに何を!?」
「ん―――だって今週末会えんのやろう。そのぶん愛し合うとかんと,ボクの充電きれてしまうやん。」
「じゅうでん?」
「ルキアちゃんが不足すると,ボクなあんも出来んくなるんよ。」
ルキアの儚い抵抗を口づけで黙らせると,ギンは最愛の少女を軽々と抱き上げると寝室へと連れ去った。








空は文句なしの日本晴れ,隣には美しく盛装した朽木ルキア,料亭『菖蒲亭』の庭を連れだって歩きながら浮竹十四郎は上機嫌であった。
気に染まない見合いは,これからルキアを設けられた席に連れていくことで流れるであろうし,朽木家令嬢が許嫁となれば,この先自分に見合いがもちかけられることもない。



今日は仮の許嫁と言うことでルキアを引っ張り出したが,公共の場でルキアを許嫁と宣言してしまえば仮だろうが何だろうが,もうこっちのものである。貴族としての格が違うとはいえ,自分とて護廷十三番隊の隊長,ルキアを娶るのに地位も立場も問題はない。
白哉だとて反対する理由はないはずである。



むしろ,白哉よりも問題なのは目の上のたんこぶ,ルキアの恋人市丸ギン。



しかし,今日はギンを出し抜き見事に一本取ってやったと思うとひとりでに笑いがこみあげてこようと言うものだ。
あの性悪狐が何かやらかすかと警戒はしていたが,ルキアに説得されたのか,軽い嫌味を言われはしたが,見合いを阻止する動きは見られなかった。
今日を境にルキアをギンから奪い,必ず自分の妻にする,その計画は完璧であるように思えた。浮竹は天候すら自分の味方をしてくれているような気がした。
(やはり,朽木を抱き込んで,この計画を立てたのは正解だったな・・・)



上機嫌の浮竹とは対照的にルキアは緊張気味で落ち着かない様子であった。
仮とはいえ浮竹の許嫁であるのだから,それらしく振る舞わなければ浮竹の恥になる,ひいては朽木家の恥になる。ルキアは見合いの時間を気にして浮竹に問いかけた。
「あの・・・浮竹隊長,そろそろお時間ではないのですか?」



ルキアの声に振り向いた浮竹は改めて感嘆の眼差しでルキアを見つめた。
今日のルキアは萌黄色の地に,菊花が咲き乱れる柄の振り袖に帯色は薄紅,帯紐は金と若菜色のねじり,結い上げた髪には珊瑚色の玉簪を挿している。簪には金の飾りがついているためルキアが軽く頭を振るだけでしゃらりと揺れる。その美しさ,愛らしさに浮竹の胸は高鳴る。



「ん・・・そうか。それにしても朽木,その着物よく似合っているな。」
「はあ,ありがとうございます。でもこんな高価な着物頂くわけには・・・」
今日ルキアが身につけている着物,装身具一式は全て浮竹自らが用意したものであった。
「こちらが無理に頼んだのだから,迷惑料だと思って受け取ってくれ。」
浮竹はルキアの両肩に腕をかけ,美しい藍紫色の瞳を覗き込むように見つめた。
決して無理強いするわけではないが有無を言わさぬ浮竹の言葉に,ルキアは少し困ったような顔をしたが,ため息を一つついて承諾した。
「はい・・・」
他の男から貰った着物を着ることを,ギンが許してくれるわけがない。ルキアは箪笥に仕舞われてしまうだろう着物が気の毒に思えた。
そんなルキアの内心の声も知らず,浮竹はルキアを促して見合いの席へと向かった。




見合いの席が設けられている座敷に向かう長い渡り廊下の途中に,大きな姿見があるのを目にとめ,浮竹は足を止めた。
「朽木,ちょっと来てごらん。」
「はい・・・?」
浮竹はルキアと二人鏡の前に立った。
今日の浮竹は芥子色の着物に同色の羽織,仙人掌色の帯,萌黄色の着物のルキアと実に似合いに映ることは彼の中で計算済みである。

浮竹は満足気に微笑むとルキアの手を取って歩き出した。
「あ・・・あの浮竹隊長・・・!?」
「うん,なんだ朽木?俺たちは許嫁なんだから手をつなぐのは自然だろう?」
「いえ,でも・・・その・・・」
相手が浮竹では無下に手を振り払うことも出来ず,ルキアはもじもじとするしかなかった。
「あと,今日は俺のことは名前で呼んでくれよ。」
とびっきりの笑顔でルキアに笑いかけると浮竹は,今日は人生最良の日だと快哉をあげながら見合いの席である座敷の襖を勢いよく開けた。




「お待たせいたしまして,申し訳あ・・・・!?」
浮竹の言葉が消えた。背中がわなわなと震えている。
浮竹のただならぬ様子に驚いたルキアも背の高い浮竹の背後から座敷を覗き込んで絶句した。



なんと,見合いの席の上座に市丸ギンが座っていたのだ。



紫の絹の座布団の上に胡坐をかいて座り,膝の上に肩肘をつきこぶしを顎にあてて,にやにやと嗤っている。
金糸の縫いとりのある京紫の長い手布を歌舞伎役者のように額に結び,唇ではなく眦に鮮やかな紅をさし,黒の着流しに紅と金の縞の帯,黒地にいぶし銀を散らした霧の中舞い散る緋色の桜柄の女物の羽織を,袖を通さず羽織ったその姿は,男ながらため息が出るほどの凄艶な色気をかもしだしていた。
これで紫の番傘をさして啖呵をきれば,さながら弁天小僧菊之助・・・と言ってよい程の艶やかさ――。
しかし,ただひとつ,いつものギンと違うのは,彼の最大の特徴である銀髪が艶やかな黒髪に変わっていることであった。




その場に居る見合い関係者たちは,何を聞かされていたのか完全に固まってしまっている。
どうやら鬼道もかけられているようだ。
ギンは唖然としているルキアに軽く目配せをすると,すいと立ちあがると浮竹の方に歩み寄ってきた。



浮竹は顔面蒼白となって口をパクパクとさせている。あまりのとんでもない状態に言葉を発するどころか息も出来ないようだ。
そんな浮竹の様子に構わず,ギンは息がかかるほどの至近距離まで近づくと嫣然と笑いかけた。
「浮竹はん,ボクとの仲ごまかすためとはいえ,仮の許嫁作ってまで,見合いぶちこわそうなんてどーゆー了見なん?」
「な,ななな何を!?市ま・・・むぐ・・・!?」
何とか口をきこうとする浮竹の唇に,細く長いギンの指が当てられ,にんまりと嗤った唇から詠唱破棄された鬼道がはなたれる。
「縛道の九十九・・・禁!」
「・・・・・・!?・・・・・!!!!」
たちまち浮竹の唇の動きが封じられた。
「嘘の許嫁なんぞ拵えんでも,この際だから発表したらえーやん。浮竹はんにはボクがおるて,そーゆー趣味なんやて。」



ギンは挑発するような視線でその場に居る者たちをねめつけると(ルキアは抜かして)浮竹の肩に両腕を投げかけ,顔を重ねた。角度によっては,どう見ても男同士の熱き接吻・・・。
しかし,ルキアの側からは見えた。
ぎりぎりまで寄せられてはいたが,ふれてはいないギンの唇,そこからもれた言葉は・・・
「これで思い知ったやろ?ボクを出し抜いてルキアちゃんに手ぇ出そうなんて100万年早いんよ!」



にんまり嗤って浮竹から離れると同時にギンは縛道を解いた。
次の瞬間,石化していたように固まっていた見合い関係者たちがいっせいに動き出し次々と浮竹のもとに殺到し,詰め寄りだした。
「どーいうことかね浮竹君!!」
「いえ,あの・・・これは・・・」
「私たちの顔に泥を塗る気かね!!」
「十四郎様がそのような方だったなんて―――――ッ!!」



怒声に泣き声,見合いの席は収集のつかない修羅場の態をようしてきた。
その中心に立たされ,浮竹は赤くなったり青くなったり,ついには・・・
「とにかく,これは違っ・・・ごふう!?」
あわれ大量の吐血をして倒れてしまった。
「浮竹隊長!」
慌てて浮竹に駆け寄ろうとするルキアを,ギンは素早く背後からおさえ,ひょいとお姫様抱っこで抱えあげると瞬歩を発動させた。








「ギン・・・貴様は何ということを・・・」
『菖蒲亭』から遠く離れた閑静な庭園のベンチに腰掛けさせられたルキアは,ギンに力なく詰め寄っていた。
あれでは,浮竹に男色趣味の噂がたつのは必須である。
しかも,あの後の事態の収拾をすべて押し付けられ,騒ぎの張本人はあっさりと逃げ出してしまったのだから・・・
あまりの気の毒さにルキアは顔も上げられない。



「見合いはぶち壊せたんやから,ええやん。この先も,自分の娘を男色家に嫁がそうっちゅう物好きも現れへんやろうし。」
あれ程のことをしておきながら,当の本人ギンは悪びれもせず涼しい顔でうそぶく。
「まあ,とりあえずルキアちゃん。これでも飲んで落ち着きぃ。」
ギンはルキアの隣にすとんと腰をおろすと,近くの茶店から買ってきた甘酒をルキアに手渡した。こういうところは何時でも気が利く男なのである。



喉が渇いていたルキアは大人しく受け取り,甘酒をひとくちすするとギンの方をちらりと見やった。この格好で茶店まで言ったのかと思うと神経を疑ってしまう。
「それにしても,貴様のその格好はなんだ・・・面妖な・・・」
派手すぎるその格好はどこからどう見ても傾奇者,奇抜だが不思議と似合っているだけに,どう表現して良いかわからない。
「ん――ボクにまで男色の噂なんぞ,立てられたら敵わんからね。髪染めて変装して来たんよ。羽織は京楽はんから借りたんや。それっぽいやろ♪」
道理で女物の羽織が,細身とは言え長身のギンの丈に合っているはずである。まさか京楽もギンのそんな企みに自分の羽織が使われるとは思わず,快く貸してくれたのだろう。
ルキアは頭痛がしてきた。
「見合いはきちんと断る予定であったのに・・・ぶち壊しにしおって・・・。」
「ボクがぶち壊したんは,浮竹はんの見合いだけやないよ。キミの縁談もや。」
「えっ?」



ルキアは思いもよらぬギンの言葉に顔をあげてギンをまじまじと見つめた。
「浮竹はん,今日見合いの席で,キミのこと許嫁やて紹介した後,キミのお義兄さんに挨拶に行くつもりやったんよ。」
「な・・・!?」
ギンは,心底驚いているルキアを呆れ顔で見つめた。
「ほんま,ルキアちゃんは自分に向けられる思いには鈍いんやから,仮の許嫁ゆうたかて憎からず思うてもいない相手に頼むわけないやん。朽木家の名前は口実にすぎんよ。」
「・・・・・。」



浮竹はルキアにとって敬愛する上司,常に自分を気遣い導いてくれた大切な人である。しかし,ルキアは浮竹を恋愛対象として見たことは一度もなかった。
そんな風に思われているとすら,思いもよらぬことであった。
「まあ,ボクも,ちょおやり過ぎてしもうたかもしれんけど,ことがキミの縁談となれば話は別や。徹底的にぶち壊す,今後ずうっとな。それだけは,ルキアちゃんがどう言おうと実行する。だって,ルキアちゃんはボクのお嫁さんになるんやから。」
「えっ・・・!?」




唐突なギンの求婚にルキアは一瞬聞き違いかと思って問い返した。
ギンはにっこりと笑ってルキアの前に跪くと,ルキアの小さな手をとった。



「そうや・・・ルキアちゃん,愛しとるよ。ボクと結婚してください。こないな恰好でなんやけど,ず――っと,初めて会うた時から夢みていたんや。キミと結婚して二人で幸せになりたいて・・・」
「ギン・・・」
盛装した令嬢の前に跪いて求婚する傾奇者・・・何とも奇妙に見えるはずが,二人の姿は一幅の絵のように美しかった。
そう,先程『菖蒲亭』の姿見の前に並んだ着物の色を合わせた浮竹との姿など,とうてい及ばぬほど・・・
「返事は・・・?」
ギンの問いかけにルキアはしっかりと瞳をそらさずに答えた。
「はい・・・ギン,私もおまえを愛してる・・・二人で幸せになりたい・・・。」



ギンの瞳が開眼し,幸福な笑みが顔いっぱいに広がる。ルキアも大きな瞳に涙をいっぱいにたたえ,ギンに微笑みかける。
二人にとって,これほど幸せを感じた時は今までになかった。ギンは強くルキアを抱きしめた。ルキアもギンの背に腕をまわし強く強く抱きしめる。



「ルキアちゃんありがとう,ボクめっちゃ幸せや――。ルキアちゃんは今日からほんまもののボクの許嫁やね。」
ギンの胸に抱かれルキアは恥ずかしそうに頷く。
「それじゃあ,これからお義兄様に婚約のご挨拶に行こうか?」
「ええっ!?」
ギンの唐突な申し出にルキアは狼狽した。
「ま,待て!この格好で行くのはちょっと・・・」
こんな奇抜な傾奇者のなりで,義兄朽木白哉のもとに行くなど不敬にも程がある。
「ん――確かに。浮竹はんにもろうた着物で御挨拶に行くんはボクもいややな。よしボクのうちで着替えよか♪」
「私の着物のことではない!・・・えっ!?知っておったのか?」



どうやら,今日着ている着物の出どころまで,ギンにはお見通しのようである。ギンはにんまりと笑うとルキアを再びお姫様抱っこで抱き上げる。
「他の男が選んだ着物なんぞ,いつまでも許嫁の前で着取ったらあかんよ。早う脱いでしまお♪」
もちろん脱いだ後そのままで済ませるつもりはない。当然,ギンの意図をルキアも察して顔を朱に染める。
「ギ,ギン,まだ昼過ぎだぞ!そのようなこと・・・」
「だったら夜までずう――っと愛し合うてれば同じことやん。ボクらもう許嫁なんやから遠慮はせんよ♪」



ギンは無邪気にルキアに笑いかける。今までだって遠慮などしたこともないのに,この笑顔で何時もわがままを通されてしまう。
ルキアは軽くため息をつきギンに囁きかける。
「わかった・・・でも夜まではだめだ。兄様は夕方にはお帰りになられるから,一緒に御挨拶に行こう・・・」



ルキアの答えに,ギンはとろけそうなほど幸福な笑顔を浮かべ,返事を口づけで返した。
そして,人生最良の日である今日という日を愛しむように青空を見上げると,瞬歩を発動させ瞬く間にその場から消えた。








ボクがキミに送るのは白い衣装とわたぼうし
永遠の時を誓ったら
キミをボク色に染め上げる・・・








             〈END〉







あとがき この数十年後に最大のライバルとなる,今日のギンの変装そのままの黒髪の息子を授かることなど,ギンは思いもしないのでありました。










ラッブラブなギンルキです!!ギンが幸せそうで可愛い…!!(じたばた)kokuriko様ありがとうございます!

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